奈良原別宮
ならばらべつぐう
平安末期に存在した山城石清水八幡宮領の別宮。奈良別宮とも記され、日野町福長の楢原はその遺称地とされる(鳥取県史)。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に、石清水八幡宮の別当寺極楽寺領として伯耆国「奈良原」とみえる。その後、八幡宮寺領に編入され、元暦二年(一一八五)正月九日の源頼朝下文(案、同文書)では同宮寺領「奈良別宮」などに対する武士らの狼藉停止が命じられているが、これは武士らが源平の争乱を利用して、所領の拡大を図ろうとしたためである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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