奥山城跡(読み)おくやまじようあと

日本歴史地名大系 「奥山城跡」の解説

奥山城跡
おくやまじようあと

[現在地名]引佐町奥山

奥山地内中央の中村なかむらの小丘、字城山しろやまにある南北朝期から戦国期にかけての城跡。「遠江国風土記伝」に「奥山六郎次郎藤原朝藤の城なり、子孫世々住す、而して延元元年京師兵乱の時、後醍醐天皇の御子宗良親王此城に入御いでましき、応安四年無文禅師入御の時、朝藤方広寺を建立す」と記される。「太平記」巻一九(諸国宮方蜂起事)に「遠江ノ井介ハ、妙法院宮ヲ取立マイラセテ、奥ノ山ニ楯籠ル」とあり、建武四年(一三三七)に井伊氏は妙法院宮宗良親王を当城に迎え入れている。のち親王は井伊谷いいのや城・三岳みたけ城へ移り、三岳城が落城した暦応三年(一三四〇)には奥山城も落城したとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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