奥州仙台領絵図(読み)おうしゆうせんだいりようえず

日本歴史地名大系 「奥州仙台領絵図」の解説

奥州仙台領絵図(正保国絵図)
おうしゆうせんだいりようえず

八三七×五一七センチ

写本 仙台市博物館

解説 正保元年一二月の幕府の要請により正保二―三年頃に作製された国絵図を、元禄一〇年仙台藩が幕府から借受けて転写・清書した絵図。作製は幕府の統一的な規準に従い、縮尺は一里を六寸とし、約二万一千六〇〇分の一となっている。村名、宿場、街道の様子、河川や沼の深さ・幅、渡しの有無、山々、山中難所海上航路などが記され、さらに著名な建築物が描かれる。郡高・村高は貫積りで記載され、その高は寛永検地による改高とされる。なお境界争いの際の正保国絵図の使われ方をみると、国絵図はその時点で、実際に使われ機能している郡境や検地帳をも否定しうるほどの権威をもっていたと推測される。写本は内閣文庫にも所蔵されている。


奥州仙台領絵図(正保国絵図)
おうしゆうせんだいりようえず

八三七×五一七センチ

写本 仙台市博物館

解説 正保元年一二月の幕府の要請により正保二―三年頃に作製された国絵図を、元禄一〇年仙台藩が幕府から借受けて転写・清書した絵図。作製は幕府の統一的な規準に従い、縮尺は一里を六寸とし、約二万一千六〇〇分の一となっている。村名、宿場、街道の様子、河川や沼の深さ・幅、渡しの有無、山々、山中の難所、海上の航路などが記され、さらに著名な建築物が描かれる。郡高・村高は貫積りで記載され、その高は寛永検地による改高とされる。なお境界争いの際の正保国絵図の使われ方をみると、国絵図はその時点で、実際に使われ機能している郡境や検地帳をも否定しうるほどの権威をもっていたと類推される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む