奥村博史(読み)オクムラ ヒロシ

20世紀日本人名事典 「奥村博史」の解説

奥村 博史
オクムラ ヒロシ

大正・昭和期の洋画家,金工家



生年
明治22(1889)年10月4日

没年
昭和39(1964)年2月18日

出生地
神奈川県藤沢

学歴〔年〕
日本水彩画研究所修了

経歴
明治42年上京、大下藤次郎の日本水彩画研究所に学んだが、主宰者大下没後、油絵に転じた。大正3年婦人運動家の平塚明子(らいてう)と恋愛結婚し、話題となった。同年第1回二科展で「灰色の海」が入選。二科展に出品を続けた。そのころ成城に住んで成城学園で教え、14年日本水彩画会会員。武者小路実篤と知り会い「新しき村」の美術部に属したりもした。昭和8年富本憲吉の勧めで自作の指環を国画会展工芸部門に出品、受賞して国画会会員となった。晩年は無所属。自伝「めぐりあい」のほか遺作集刊行委員会編「奥村博史素描集」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥村博史」の解説

奥村博史 おくむら-ひろし

1889-1964 大正-昭和時代の洋画家。
明治22年10月4日生まれ。妻は平塚らいてう。日本水彩画会研究所にまなび,のち油絵に転じた。大正3年二科展で「灰色の海」が入選。指環の制作者としても知られ,昭和8年工芸部門で受賞し,国画会会員となった。昭和39年2月18日死去。74歳。神奈川県出身。著作に「めぐりあい」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の奥村博史の言及

【平塚らいてう】より

…青鞜社が新しい女の集団として非難されると,13年みずから〈新しい女〉と名乗り,古い道徳,習慣,法律を破壊すると書いた。14年画家奥村博史と同棲し,愛の共同生活をうたい,家族制度に従って夫の家に入籍することを拒んだ。大正時代は婦人問題評論家として活躍,18年与謝野晶子と母性保護論争を行い,20年には市川房枝らと新婦人協会を結成,婦人参政権運動を展開した。…

※「奥村博史」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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