改訂新版 世界大百科事典 「大下藤次郎」の意味・わかりやすい解説
大下藤次郎 (おおしたとうじろう)
生没年:1870-1911(明治3-44)
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明治期の画家 美術出版社創業者。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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水彩画家。東京生まれ。中丸精十郎、ついで原田直次郎に学ぶ。明治美術会会員。オーストラリアに旅行、1900年(明治33)のパリ万国博覧会に水彩画を出品、翌年『水彩画之栞(すいさいがのしおり)』を刊行し大好評。01年同志と太平洋画会を創立し、翌年から次の年にかけてアメリカ、ヨーロッパを巡遊する。05年水彩画研究団体の春鳥会をおこし、美術雑誌『みづゑ』を創刊。さらに07年、前年丸山晩霞(ばんか)らと開いた水彩画講習所を日本水彩画研究所へと発展させ、また第1回文展に『穂高山の麓(ふもと)』を出品した。
[小倉忠夫]
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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[近代日本の水彩]
日本では《イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ》の特派員として幕末に来日したイギリス人ワーグマンに学んだ高橋由一,五姓田(ごせだ)芳柳(1827‐92),その次男の義松などが洋風水彩画の端緒を作り,浅井忠は油彩のほか水彩にもすぐれていた。また1907年には大下藤次郎,丸山晩霞(ばんか)(1867‐1942)らの手で日本水彩画研究所が設立され,その後の水彩の普及,発展に大きく貢献した。【千足 伸行】。…
…美術雑誌。1905年(明治38)7月,水彩画家で美術啓蒙家の大下藤次郎によって創刊された《みづゑ》は,誌名が示すように初めは水絵=水彩画の普及のための専門雑誌として出発したが,水彩画から油彩画へと変遷をみた日本の美術界に歩調を合わせるように,17年以降は洋画を中心とした美術総合雑誌に転換し,《国華》とともに日本を代表する美術雑誌に成長。第2次大戦中は統制により《新美術》《美術》と改題し,日本美術出版株式会社(48年美術出版社と改称)から発刊するが,46年9月に復刊。…
※「大下藤次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...
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