奥殿村(読み)おくとのむら

日本歴史地名大系 「奥殿村」の解説

奥殿村
おくとのむら

[現在地名]岡崎市奥殿町

村域内を矢作川の枝流のかすみ川が西北に向かって流れ、集落は川沿いの奥殿道に沿って立地。村域の北部と南部は山地で東西方向が開ける。東は丸塚まるづか村・渡通津わつづ村、東南は駒立こまだち村、西北は桑原くわばら村、南は丹坂たんざか村・恵田えた村・奥山田おくやまだ村、北は宮石みやいし村と各々山で接する。中世細川ほそかわ庄に属すという。細川庄官・大給庄官と称される大給松平氏の祖松平乗元が明応二年(一四九三)井田野いだの合戦の戦功で奥殿郷・桑原郷を加増された(豊田市史)。天正一八年(一五九〇)岡崎藩主田中吉政領、慶長六年(一六〇一)より幕府領編入。寛永四年(一六二七)に松平真次知行所になって明治に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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