日本歴史地名大系 「奥海村」の解説 奥海村おねみむら 兵庫県:佐用郡佐用町奥海村[現在地名]佐用町奥海美作国吉野(よしの)郡に属し、同郡真(さね)村の東、水根(みずね)村の北、佐用川の源流地帯に位置。高針(たかはり)山(六一四メートル)・郷鴫(ごうしぎ)山(七八四メートル)・日名倉(ひなくら)山(一〇四七メートル)に囲繞された山間村。東は宍粟郡船越(ふなこし)村(現南光町)と宍粟郡七野(ひつの)村・室(むろ)村(現千種町)、北は吉野郡後山(うしろやま)村(現岡山県東粟倉村)。江戸期の領主の変遷は中山(なかやま)村に同じであったが、天保一一年(一八四〇)以降も幕府直轄領として存続、同一三年明石藩領となる(美作国郷村支配記)。正保郷帳に村名がみえ、田方七五石余・畠方九〇石余、柴山有、芝山有、川荒有と注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by