女谷村(読み)おなだにむら

日本歴史地名大系 「女谷村」の解説

女谷村
おなだにむら

[現在地名]柏崎市女谷

川の上流地にある山村高原田たかんだ上野かみの下野しもの宮原みやばら駒之間こまのまの集落が散在する。近世は元和二年(一六一六)から同四年まで長峰藩牧野忠成領のほかは高田藩に属する。天和元年(一六八一)松平光長の改易後は幕府領。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳に女谷村四一四石余とあるが、この高は女谷郷の総高と推定される。正保国絵図では、女谷村高一八一石余、駒野間村高八石余、市野いちの新田高一三〇石余、折居おりい村高五六石余、石黒村高四一石余(または清水谷村高五三石余か)を加えた総計が女谷郷の総高であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む