日本大百科全書(ニッポニカ) 「妙空」の意味・わかりやすい解説
妙空
みょうくう
(1826―1880)
中国、清(しん)末の僧。楊州江都(ようしゅうこうと)の人。姓は鄭(てい)氏、名は学川(鄭学川(ていがくせん)でよばれることも多い)、字(あざな)は書海(しょかい)、自ら刻経僧(こくきょうそう)と号した。幼くして儒学を究めたが、のちに仏法を学び、広く仏典に通じ、とくに浄土教に精通した。太平天国の乱(1850~1864)で『方冊本大蔵経(ほうさつぼんだいぞうきょう)』印板の消失を嘆き、1866年(同治5)同志とともに刻経を発願し、剃髪(ていはつ)し妙空と号した。楊州など5か所に刻経処を設け、著述のほかはもっぱら刻経に従事した。前後15年間に刻経3000巻をなし、未完の『大般若経(だいはんにゃきょう)』の完成を弟子に託し、光緒(こうちょ)6年55歳で寂した。著書『蓮邦消息(れんぽうしょうそく)』『求生捷径(ぐしょうしょうけい)』『弥陀経論(みだきょうろん)』など28部は『楼閣叢書(ろうかくそうしょ)』に収録されている。
[柴田 泰 2017年4月18日]