道光(読み)どうこう

朝日日本歴史人物事典 「道光」の解説

道光

没年:元徳2.3.29(1330.4.17)
生年:建長3(1251)
鎌倉後期の浄土宗僧侶。字は了慧一説に元弘1(1331)年7月19日死亡。比叡山で顕密諸宗を学ぶが,のちに良忠門下に帰す。京都五条坊門に悟真寺(のちに三条に移転)を建立し布教したので,その門流を三条派といった。法然の語録を集めた『黒谷上人語燈録』を編纂し,法然,弁長,証空3代の伝記を作成した。法然の門流が分派していくなかで,浄土宗の鎮西派の正統意識のもとで円頓戒と末代念仏授手印の伝授による布教を定着させ,鎮西派確立に寄与した。<著作>『選択集大綱鈔』<参考文献>卍元師蛮本朝高僧伝』16巻

(林淳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「道光」の解説

道光(2) どうこう

1243-1330 鎌倉時代の僧。
寛元元年生まれ。相模(さがみ)(神奈川県)の人。比叡(ひえい)山でまなび,のち浄土宗に改宗して良忠の法をつぐ。京都三条の悟真(ごしん)寺で布教,著作にはげみ,三条派の祖とあおがれた。元徳2年3月29日死去。88歳。一説に3年7月19日死去とも。俗姓宍戸。字(あざな)は了慧。号は望西楼,蓮華堂。諡号(しごう)は広済和尚。編著に「黒谷上人語灯録」など。

道光(1) どうこう

?-? 飛鳥(あすか)時代の僧。
白雉(はくち)4年(653)律の研究のため,遣唐大使吉士長丹(きしの-ながに)の船で唐(とう)(中国)にわたる。天武天皇7年(678)に帰国,勅をうけ「依四分律抄撰録文」をあらわす。「日本書紀」持統天皇8年(694)4月条に,賻物(はぶりもの)(葬具)がおくられたとあり,この年に死去か。

道光(3) どうこう

鉄眼道光(てつげん-どうこう)

道光(4) どうこう

日謙(にちけん)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の道光の言及

【鉄眼】より

…江戸時代初期の黄檗(おうばく)宗の僧。道光と称し,鉄眼は号,諡号(しごう)は宝蔵国師である。肥後国(熊本県)益城(ましき)郡の生れで,俗姓は佐伯氏。…

※「道光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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