妙華寺跡(読み)みようげじあと

日本歴史地名大系 「妙華寺跡」の解説

妙華寺跡
みようげじあと

[現在地名]中村市丸の内

古城こじよう山の北麓、奥御前おくごぜん宮境内の妙華寺谷にあった一条教房の菩提寺。「妙花寺」とも記される。教房は一条兼良の長子で関白にも補されたが、応仁二年(一四六八)家領幡多はた庄に下向、文明一二年(一四八〇)一〇月五日に没した。「大乗院寺社雑事記」同年一二月七日条に「土佐御所去十月四日薨給候之由、注進状到来旨、自八幡殿有音信云々、自恵林(寺)殿承驚入者也、(中略)若君ハ四歳ニ成給彼国ニ御也、無力次第也、御歳五十八也」「後聞、追号妙花寺前関白、法諱宗恵、東福寺長老奉名付云々、国人十余人入道了」とあり、翌八日条に「御葬事者於太平妙花寺在之云々」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報