姫城村
ひめぎむら
[現在地名]国分市姫城、姶良郡隼人町姫城
新町村・府中村を挟んで郡田村・弟子丸村の西方、天降川の左岸、手籠川との合流点北側に位置する。姫木とも書き、近世には清水郷に属した。税所氏一族の姫木氏は当地を名字の地とし、中世には地内の姫木城に拠って一帯に勢力を振るった(「諸家大概」など)。正応四年(一二九一)一一月日の台明寺寺田注文(台明寺文書)によると聖西入道が寄進した同寺の常楽会田四反は「小河、智尾、姫木」に所在していた。正中三年(一三二六)二月一六日、紀時秀は犬王丸に「ひめきのなか田三段」や山野分として「ひめきのかみすきか荘園ほりまちあり」ほかを譲っている(「紀時秀譲状」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 