姫岳城跡(読み)ひめだけじようあと

日本歴史地名大系 「姫岳城跡」の解説

姫岳城跡
ひめだけじようあと

[現在地名]臼杵市東神野、津久見市上青江

姫岳(六一九・九メートル)頂上にある。永享三年(一四三一)六月、筑前博多をめぐる大友持直・少弐満貞と大内盛見との対立で、盛見を敗死させた後、同八年に持直が幕府追討を受け立籠った山城。同年五月三日の大友親重知行預ケ状(文化庁蔵若林文書)に「姫嶽」とみえ、親重は若林弾正忠に対し姫岳堪忍の忠賞として直入なおいり朽網くたみ郷内一〇貫文の地を預け置いている。同月四日の室町将軍家御教書(毛利家文書)には「豊後国敵城東神野」とみえ、中央では具体的な城の名称は把握していない。同年閏五月一四日当城を囲んでいた大友親綱は城内の兵糧が欠乏しており、御手洗薬師寺の手の者が城を出て降参しているから、落城も間近であろうと城内にいる田北親増に宛て書送り切崩しをはかっている(「大友親綱書状」大友家文書録など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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