姫草番所跡(読み)ひめくさばんしよあと

日本歴史地名大系 「姫草番所跡」の解説

姫草番所跡
ひめくさばんしよあと

[現在地名]檮原町永野

唐岩からいわ番所から尾根伝いに西に一里余行ったところにあった土佐伊予国境の境目番所。伊予に通じる要所で、伊予松山まつやままで一二里、高知城下まで二二里。伊予の松山・大洲両藩領、土佐藩領の接点に位置する。宝永元年(一七〇四)の設置。享和元年(一八〇一)の「西郡廻見日記」によると、番所は西の莇野あぞうのという高い森と、東のうしシヤウガ峯との間の峠にあり、番屋は西向きで二間梁四間の茅葺総板敷。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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