姫谷遺跡
ひめたにいせき
[現在地名]日高町庄境 西尾東ほか
円山川の支流稲葉川によって形成された標高約二八メートルの沖積地に立地。遺物の分布は東西約一二〇メートル・南北約一〇〇メートルにおよぶ。出土遺物の大半は奈良―平安時代で、縄文時代の遺物は
状耳飾のみである。昭和五三年(一九七八)に、圃場整備事業の工事中に発見され、掘削中の土層確認が行われた。遺物は遺跡の南東端で発見された多量の木製品(人形・斎串・馬形・鳥形その他)、遺跡西端部の山麓部に近い地点で採集された
状耳飾が注目される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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