学田農場(読み)がくでんのうじよう

日本歴史地名大系 「学田農場」の解説

学田農場
がくでんのうじよう

遠軽町地域の開拓の草分となった農場。現町域北東部、湧別ゆうべつ川とサナブチ川の合流点南方の湧別川流域の西方市街地一帯にあたる。明治二九年(一八九六)一月宮城県の押川方義は信太寿之らと北海道に学田農場を設け、その基本財産(小作料)をもって三〇年後にキリスト教主義の大学を創建する計画を立て、北海道同志教育会を設立した(遠軽町百年史)。そして湧別原野のうちサナブチ川以南野上のがみ駅逓まで四〇五万坪(一千三五〇町歩、二七〇戸分)の予定存置許可を受け(状況報文)、おもに新潟県・山形県から移民を募集した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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