遠軽町(読み)えんがるちよう

日本歴史地名大系 「遠軽町」の解説

遠軽町
えんがるちよう

面積:二一〇・一三平方キロ(境界未定)

昭和二一年(一九四六)八月、紋別郡遠軽町から丸瀬布まるせつぷ(現丸瀬布町)白滝しらたき村が分村して成立した自治体。網走支庁管内のほぼ中央部北寄りに位置し、東は紋別郡湧別ゆうべつ町、南は同郡生田原いくたはら町、西は同郡丸瀬布町北西は紋別市、北は紋別郡上湧別町に接している。町域のほぼ中央を湧別川が西から北東へ貫流し、生田原いくたわら川・瀬戸瀬せとせ川・サナブチ川との各合流点に肥沃な土地が開けているが、町域の七三パーセントは山林である。海浜から続いている湧別原野の南方二〇キロに位置しているためオホーツク海型気候で、平成一一年(一九九九)二月の平均気温は零下八・三度、八月の平均気温は摂氏二二・七度、年平均は六・三度。JR石北せきほく本線が遠軽駅でスイッチバックして町域を横断し、同駅・新栄野しんさかえの駅・瀬戸瀬駅がある。南部を同線に並行して国道三三三号が走り、遠軽市街を南北に国道二四二号が縦貫している。


遠軽町
えんがるちよう

昭和九年(一九三四)から同二一年まで存続した紋別郡の町。昭和九年四月、遠軽村が町制を施行して成立。国鉄石北せきほく(現JR石北本線)の全通後は湧別ゆうべつ流域の経済・交通の中心地として発展、同一五年の国勢調査では戸口は三千三九六戸・一万九千二九二人となった。


遠軽町
えんがるちよう

2005年10月1日:紋別郡遠軽町・丸瀬布町・白滝村生田原町が合併
【遠軽町】北海道:網走支庁
【丸瀬布町】北海道:網走支庁
【白滝村】北海道:網走支庁
【生田原町】北海道:網走支庁

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「遠軽町」の意味・わかりやすい解説

遠軽〔町〕
えんがる

北海道北東部,湧別川の中・上流域にある町。南西部は大雪山系の一部をなし,広く山林に覆われる。北東部の湧別川およびその支流沿いに平坦地が広がる。 1934年町制。 2005年生田原町,丸瀬布町,白滝村と合体。地名はアイヌ語のインガルシペ (見晴らしのよいところの意) に由来。 1897年秋田県,山形県,新潟県各 200戸の入植により開拓。町の北東部の湧別川沿岸は肥沃な畑が多く,かつてはジョチュウギクハッカを主産物としたが,1956年集約酪農地域の指定を受けて酪農が発展。野菜,工芸作物の栽培も行なわれる。山地では木材を産し,製材業も立地。生田原温泉,瀬戸瀬温泉,丸瀬布温泉などの温泉地が点在する。南西部の湧別川と支湧別川の流域に分布する白滝遺跡は国指定史跡。 JR石北本線,国道 242号線,333号線,450号線が通る。面積 1332.45km2(境界未定)。人口 1万9241(2020)。

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