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宇喜多能家 うきた よしいえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇喜多能家 うきた-よしいえ

?-1534 戦国時代の武将。
宇喜多久家の子。備前(岡山県)守護代の浦上宗助,その子村宗につかえる。村宗の死後,備前砥石(といし)城に引退したが,天文(てんぶん)3年6月30日,おなじ浦上家の家臣島村豊後守(ぶんごのかみ)に急襲され自殺した。

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朝日日本歴史人物事典の解説

宇喜多能家

没年:天文3.6.30(1534.8.9)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。通称は平左衛門,和泉守。宇喜多久家の子。播磨・備前・美作守護赤松氏の備前守護代浦上宗助・村宗父子の重臣。永正15(1518)年以降の,赤松義村浦上村宗との対立に際しては,村宗の家臣として赤松氏勢力と戦った。大永1(1521)年村宗は義村を討ち,赤松氏領内で実権を握った。村宗の勝利は,能家の功績に負うところ大であった。享禄4(1531)年村宗の討死を契機として,備前砥石城(岡山県邑久町)に退隠した。天文3(1534)年同じ浦上氏の将島村豊後に,不意に襲撃され,砥石城において自害した。宇喜多能家画像(岡山県立博物館所蔵)は戦国武将の画像として逸品と評されており,南禅寺の僧宗成による能家の伝記を述べた賛がある。<参考文献>九峯宗成「宇喜多和泉守三宅朝臣能家像賛」(『続群書類従』),『岡山市史』2巻,立石定夫『戦国宇喜多一族』

(平野明夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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