日本歴史地名大系 「宇治地区」の解説 宇治地区うじちく 三重県:伊勢市宇治地区内宮の鳥居前に成立した町場を中心とする地域。神域に近い岩井田(いわいだ)(館町一帯)・岡田(おかだ)(今在家町・中之切町・浦田町一帯)の上二郷と、中(なか)村・楠部(くすべ)・鹿海(かのみ)・朝熊(あさま)の下四郷とからなる宇治六郷と称された地域であるが、町場をなしたのは上二郷である。なお朝熊には一宇田(いちうだ)、および松下(まつした)(現度会郡二見町)が含まれた(宇治山田市史)。室町時代には外宮側の山田と度々争いが生じている。文明一八年(一四八六)山田側が内宮への参詣路をふさいだことから、宇治側が北畠氏の兵を頼んで山田に攻入り、外宮が炎上する事件が起こったが、長享三年(一四八九)六月には山田側が宇治を攻撃、宇治郷は焼払われ、「神殿相残計也、至神馬等悉以焼失了」という(「大乗院寺社雑事記」同年六月二六日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by