改訂新版 世界大百科事典 「宇治橋碑」の意味・わかりやすい解説
宇治橋碑 (うじばしひ)
宇治川に架けられた宇治橋建造の由来を記す石碑。現在宇治市の放生院(橋寺・常光寺)にあるが,もとは宇治川の北岸,橋のたもとにあった。長らく所在を失っていたが,1791年(寛政3)に発見された。その際すでに下部3分の2を欠いており,この欠損部分を《帝王編年記》所載の銘の全文によって補ったのが現存の碑である。銘文は四周と行間に界線を引き,3行にわたって陰刻されている。文章は四字句を24句連ねた整ったもので,宇治川の流れの速さと渡河の不便さを述べたのち,山尻(背)恵満(やましろのえまろ)の家からでた僧道登が,646年(大化2)に架橋し,人畜をすくったことを記す。その表現の一部は,《詩経》の字句をふまえている。建碑年代については646年説のほか,平安初期説もあり,また架橋者についても《続日本紀》には道昭の名がみえていて,問題を残している。646年の建造とすれば,現存日本最古の石碑となる。文字面は幅14.8cm,高さ36.3cm(後補部分を除く)。
執筆者:東野 治之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報