日本歴史地名大系 「宇田枝村」の解説 宇田枝村うたえだむら 大分県:大野郡清川村宇田枝村[現在地名]清川村宇田枝 宇田枝井崎(いさき)村の南西、奥岳(おくだけ)川東岸にあり、対岸は中(なか)村。康正三年(一四五七)二月二五日の志賀親明置文(志賀文書)などにみえる緒方(おがた)庄内宇田枝名の遺称地。正保・元禄・天保の各郷帳には記載されず、元禄見稲簿には岡領御絵図ニ出分として津留(つる)村のうちの宇田枝村を記す。寛政三年(一七九一)の組々免村継郡付庄屋村横目名面帳(三重町立図書館蔵)にも宇田枝村とあり、免七ツ二分の中の村で、高四〇五石余とある。天保(一八三〇―四四)頃の御案内記(大久保家文書)によれば高四〇三石余、反別は田一五町九反余・畑三九町七反余・屋敷一町余、開田五畝余・開畑一六町四反余、物成は米一八二石余・大豆一七三石余、家数六八・人数二二九、牛九七・馬九。当村の堀氏は戦国時代には当地に居住する有力武士で、大友氏家臣であった。永禄六年(一五六三)から天正四年(一五七六)までの間の年未詳五月三日の大友宗麟書状(堀文書)では、入田(にゆうた)郷内の池辺氏領から年貢が納入されないため、堀兵庫入道に検使として催促するよう命じられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by