守富保(読み)もりとみほ

日本歴史地名大系 「守富保」の解説

守富保
もりとみほ

京都祇園社(感神院)の長日用途料所で、一一世紀末に成立したと考えられるいわゆる同社領四ヵ保の一。「社家条々記録」によれば得田六〇町・役田六〇町で構成された当保は、保司良円のときに宮川みやがわ(現蒲生町)山上やまのうえ(現竜王町)成安なりやす(現日野町)の三つに分割されている。年未詳七月五日付の勘解由次官奉書(八坂神社記録)には承徳年中(一〇九七―九九)に「守富保勅施入官符正文」が存在したことが明記されており、また承徳二年一〇月二〇日に「祇園塔」の落慶供養が行われ、併せて天台別院となったことなどを勘案すると(「一代要記」など)、同塔の建立に際し、堀川天皇が感神院の封地に転用したのが当保の始まりと考えられよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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