安倍城跡
あべじようあと
[現在地名]静岡市内牧・西ヶ谷・慈悲尾・羽鳥
現内牧の南方、北を内牧川、東を安倍川、南を藁科川、西をその支流久住谷川に囲まれた山塊の標高四三五メートル付近の急峻な尾根上に立地する。南北朝期に南朝方として活躍した狩野氏によって築かれた山城で、興国元年(一三四〇)九月、宗良親王が遠江国から逃れて当城に移っている(「李花集」など)。郭跡や堀切が残る。同氏は平時には結成寺の正面にあった内牧城を居館としていたと考えられる(静岡県の中世城館跡)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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