安本亀八(初代)
没年:明治33.12.8(1900)
生年:文政9(1826)
幕末明治期の生人形師。熊本の仏師善蔵の子。同郷の松本喜三郎と競い合って,写実的な人形を美術品にまで高める努力をした。話題作の初めは,嘉永5(1852)年大坂の難波新地で興行した生人形「いろは比喩」である。明治8(1875)年には上海へ渡ってイギリス租界で約60体の人形を展示,中国大陸へ興行物を持って行った最初といわれた。15年東京で人気役者の似顔人形を見せたほか,「東海道五十三駅」や「鹿児島戦争実説」も制作した。晩年は長男に2代目を譲って亀翁と名乗った。<参考文献>安本亀八述「活人形の話」(『名家談叢』12~18号)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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安本亀八(初代) やすもと-かめはち
1826-1900 幕末-明治時代の人形師。
文政9年生まれ。郷里肥後熊本の地蔵祭で等身大の写実的な生き人形を製作・展示し,松本喜三郎と腕をきそう。嘉永(かえい)5年大坂難波(なんば)新地で「いろは比喩(たとえ)」を興行。維新後は東京団子坂の菊人形や人気役者の似顔人形のほか,「東海道五十三駅(つぎ)」などを製作した。明治33年12月8日死去。75歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の安本亀八の言及
【生人形】より
…あたかも生きた人間のように見える等身大の人形。または,一つのテーマのもとに何体もの人形を作って展示する見世物を指す。熊本の仏師安本善蔵の子亀八(1826‐1900)と,門弟の松本喜三郎(1825‐91)が著名。亀八の生人形製作は大坂が最初という。1860年(万延1)に熊本で見せた《浮世四十七癖》は,75年に中国,上海へ買われて行く。のちの《東海道五十三駅(つぎ)》や《西南戦争》も名高い。一方の松本は,1854年(安政1)に大坂で〈異国人物〉を見せ,翌年から江戸で活躍する。…
※「安本亀八」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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