朝日日本歴史人物事典 「松本喜三郎」の解説
松本喜三郎
生年:文政8(1825)
幕末明治期の生人形師。熊本の商家に生まれる。20歳のとき,人かと見まごう等身大の人形を作ったので「生人形」といいはやされた。やがてひとつのテーマのもとに数十体の人形を製作展示し,嘉永7(1854)年以降,大坂で「鎮西八郎島廻り」,江戸で「浮世見立四十八癖」ほかを見世物にする。生涯の傑作は,東京の浅草奥山で明治4~8(1871~75)年に興行した「西国三十三所観音霊験記」である。これは西日本の各地へも持ち回り,お里沢市で有名な人形浄瑠璃「三拾三所花野山」(通称「壺坂」)の母体となった。最後の作品は「本朝孝子伝」である。<参考文献>大木透「名匠/松本喜三郎」
(倉田喜弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報