人形細工の一種。活人形とも書く。おもに等身大で生きている人のように写実的につくられている。江戸時代初期から各種の人形細工の見せ物興行が生まれたが、幕末になってこの生き人形の見せ物が台頭した。1852年(嘉永5)大坂で、人形師大江新兵衛が張り子細工で等身大の役者似顔人形をつくって興行。翌1853年には江戸で、京都の大石眼竜斎(がんりゅうさい)が両国橋の盛り場に同様の見せ物を出し、当たりをとった。続いて1854年(安政1)大坂・難波(なんば)新地で九州熊本の松本喜三郎が、異国人物人形を張り子細工につくり「活人形」として興行したのがこの名の始まりとなった。喜三郎は、翌1855年江戸・浅草観音の開帳にこの活人形を見せ物興行し、さらに1856年には浅草奥山で興行して評判となった。その後明治初期まで全国各地を巡業し『西国三十三箇所観世音霊験記(れいげんき)』が代表作とされる。また喜三郎と並ぶ人形師に安本亀八があった。亀八は東京・団子坂(だんござか)の菊人形にこれを応用し、芝居の小道具の切り首も製作した。生き人形の興行は、浅草花屋敷の見せ物として昭和期まで存続した。そのほか展覧会や呉服店の陳列などにも利用されたが、マネキン人形の登場で新旧生き人形が交代した。
[斎藤良輔]
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