朝日日本歴史人物事典 「安東盛季」の解説
安東盛季
津軽十三湊(青森県市浦村)を拠点にした下国安東(藤)氏の室町時代の当主。安東(藤)氏の系図・家譜類はすこぶる多く,内容もまちまちであるため,その詳細は定かでないが,『秋田家系図』は十三湊の貞季に盛季・鹿季の2子あり,応永年間(1394~1428)初年弟鹿季が秋田湊を討って湊家と称し,盛季が下国家と称したとする。また『新羅之記録』は,盛季は嘉吉3(1443)年南部義政に攻められ,十三湊から蝦夷島に逃れ,曾孫政季のとき出羽河北(秋田県能代市)に拠って檜山の屋形となったとする。盛季の没年については『秋田家系図』が応永21(1414)年とするが,安東(藤)氏の渡島年(『満済准后日記』は永享4(1432)年)も含め,その正確な年月は定かでない。<参考文献>遠藤巌「安東・秋田氏」(『地方別日本の名族』東北編1巻)
(榎森進)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報