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福島城 ふくしまじょう

日本の城がわかる事典の解説

ふくしまじょう【福島城〈青森県〉】

青森県五所川原(ごしょがわら)市にあった平城(ひらじろ)。土塁と外堀の遺構が十三(じゅうさん)湖の北岸の台地の上に残っている。面積約65万m2の外郭と一辺約200mの内郭からなり、近世以前の東北最大の城郭ともされ、中世に十三湊(とさみなと)一帯を支配して勢威を誇った安東氏(安藤氏)代々の居城であったと伝えられている。この城郭の起源は詳しくはわかっていないが、平安時代後期の10世紀後半に築かれたと推定されている(この時代の土師器などが多数出土している)。1955年(昭和30)、東京大学の江上波夫教授らの発掘調査で竪穴住居跡、外堀、内堀、土塁跡、門址や柵柱列が発見され、古代から中世にわたる遺跡ではないかと注目を集めた。その後、1992年(平成4)の国立歴史民俗博物館の発掘調査により、福島城は堅固な土塁と大規模な堀に囲まれた本格的な城郭施設であることが明らかになっている。なお、正和年間(1312~1317年)に安倍貞季が新城を築いたとする『十三湊新城記』(偽書説もある)の記述に即して、この新城が福島城であるという主張もある。五所川原市郊外の国道339号沿いにある。JR五能線五所川原駅または津軽鉄道津軽中里駅からバスで相内南口下車、徒歩約6分。

ふくしまじょう【福島城〈福島県〉】

福島県福島市にあった城。築城年代、築城者は明らかでない。1413年(応永20)、鎌倉公方に反乱を起こした伊達松犬丸(後の伊達持宗)が立て籠もった大仏(だいぶつ)城が後の福島城ともいわれるが詳しいことはわかっていない。また、大仏城はのちに杉目城(すぎのめじょう)と改称され、嫡男の伊達輝宗に家督を譲った伊達晴宗が隠居した城である。杉目城は1590年(天正18)の豊臣秀吉の奥州仕置までは伊達氏の城だったが、蒲生氏郷(がもううじさと)の属城となり、家臣の木村吉清が入城した。吉清は当初、大森城を居城としたが、1592年(文禄1)ごろに杉目城の名前を福島城と改め、同城を居城とした。このとき、福島城は信夫郡の中心的城郭となった。その後、上杉景勝の属城となると、福島城には本庄繁長が城代として入城した。関ヶ原の戦いの後、上杉景勝が信夫郡の領地を没収されると、天領(幕府直轄領)を経て、本多忠国が1679年(延宝7)に福島藩15万石の領主として入城している。その後、再び天領となり、堀田氏が藩主をつとめたあと、1702年(元禄15)に板倉重寛が福島藩3万石の領主として入城。以降、明治維新まで板倉氏が城主(福島藩主)となった。幕末から明治にかけての戊辰戦争では、福島藩は奥羽越列藩同盟に加盟して新政府軍と戦ったが、二本松城が落城すると藩主板倉勝己は米沢藩へと逃れ、その後間もなく降伏した。降伏した板倉氏はすぐに三河国(愛知県東部)に転封となったため福島藩は消滅、1868年(明治1)に城跡に陸軍鎮台分営が設置されたことから、城の建物のほとんどが破却された。城跡は、現在福島県庁のある一帯で、土塁の一部が残っているほか、同城の庭園跡が紅葉山公園となっている。JR東北新幹線・東北本線福島駅から徒歩、またはバスで県庁前下車。◇大仏城、杉目城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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