安永用水
あんえいようすい
挙母・金谷・下林・長興寺の低湿地帯の悪水吐のために着工された掘割。安永二年(一七七三)挙母藩主内藤学文が掘割疎水工事に着手。安永川ともいう。また監督として測量技術にたけた家臣橋本三右衛門の名から、三右衛門川ともよんだ。
「七州城沿革小史」によると、「下林普宿寺西ニ閘竇ヲ新設シ長興寺ノ郷中ノ耕地ヲ貫流シテ字落合ニテ長田川ニ合シ野見字竜宮ヲ経テ矢作川幹流ニ注入セシム」とあり、下林村の善宿寺西を取入口として、長興寺村を貫流して野見村字竜宮で矢作川へ落すというもので、延長九二八間に及んだ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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