朝日日本歴史人物事典 「安田蛙文」の解説
安田蛙文
江戸中期,上方で活躍した浄瑠璃作者,歌舞伎狂言作者。享保11(1726)年より18年まで,単独作2作以外は立作者並木宗輔の脇作者として合作。その後歌舞伎に転じ,大坂の諸座に出勤した。11年の「北条時頼記」は,豊竹座の不況挽回のため,西沢一風指揮のもと新進作者宗輔,蛙文渾身の作で,大当たりを取った。歌舞伎作品にも宗輔と合作したと推定される「大井川三組盃」がある。また「雷神不動北山桜」(1742)は市川海老蔵(2代目市川団十郎)が上坂した折,蛙文が立作者を勤めた作で,現代も形を変えつつ上演されている。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1』,『日本庶民文化史料集成』7巻
(黒石陽子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報