人形浄瑠璃の劇場。竹本座にたいする。1703年(元禄16),竹本義太夫の門弟竹本采女(うねめ)が独立,豊竹若太夫(のち上野少掾,越前少掾)と改名して道頓堀に開設した。いったん失敗したが,07年(宝永4)に紀海音を座付作者に,人形の辰松八郎兵衛を相座本にむかえて再興した。24年(享保9)の大坂の大火で焼失する出来事もあったが,《北条時頼(じらい)記》などが大入りして隆盛におもむいた。また海音のあと,西沢一風,並木宗輔,安田蛙文らが合作者として活躍した。豊竹座に所属する太夫は豊竹姓を名のり,はなやかな音楽性を特色とする,東風と称する共通の様式をもって竹本座と競い合い(風(ふう)),興行界の人気を二分した。《仮名手本忠臣蔵》上演時の騒動以後はそれも混交し,57年(宝暦7)の《祇園祭礼信仰記》が3年越しの大当りをとった後は衰運に向かい,65年(明和2)退転を余儀なくされた。音楽,人形,大道具の工夫にみるべきものが多かった。
執筆者:井野辺 潔
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人形浄瑠璃(じょうるり)の劇場。初世竹本義太夫(ぎだゆう)の弟子、豊竹若太夫(わかたゆう)(後の豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう))が1703年(元禄16)7月大坂・道頓(どうとん)堀に創設、興行成績振るわず一時中絶したが、1707年(宝永4)人形遣いの辰松(たつまつ)八郎兵衛を相(あい)座本に、作者に紀海音(きのかいおん)を迎え、陣容を整えて再興。『鎌倉三代記』『北条時頼記(じらいき)』などで大当りをとり、しだいに隆盛に赴き、やがて竹本座に対抗して浄瑠璃界を二分する勢力となった。海音ののちは西沢一風(いっぷう)、並木宗輔(そうすけ)(竹本座で並木千柳(せんりゅう))、浅田一鳥(いっちょう)、豊竹応律(おうりつ)、若竹笛躬(ふえみ)らが作者として活躍、越前少掾以後の太夫は豊竹姓を名のり、はでな豊竹座の芸風をつくりあげた。世間ではこれを東風(ひがしふう)といい、じみな竹本座のそれを西風と称した。1764年(明和1)の越前少掾の没後、歌舞伎(かぶき)に押されて衰退を支えきれず、翌年8月退転した。その後一時北堀江市(いち)の側(かわ)に豊竹座の名を復活したこともある。
[山本二郎]
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…竹本義太夫の後継者となった竹本政太夫(播磨少掾)によって,人間,とくに情を深く語るという義太夫節の特色がいっそう明確になった。一方,1703年(元禄16),音楽性を重んずる豊竹若太夫(越前少掾)は豊竹座をたてて独立したが,やがて紀海音を作者に得て,竹本座と対抗した。享保10年代(1725‐34)には,現行の義太夫節の基本のかたちができた。…
…《貞柳伝》に海音の放蕩(ほうとう)と,豊竹若太夫芝居の浄瑠璃作者で紀海音と号した記載がある。若太夫と海音とが協力した豊竹座作者時代は,1707年(宝永4)暮の豊竹座再興のとき座付作者となって以来,23年(享保8)の《傾城無間鐘》まで続く。芝居引退,父の没後は兄貞柳に代わって鯛屋の経営に努め,34年,貞柳の没した後は鯛屋を養子忠七に任せ,高津菩提庵に隠居,俳諧以外に狂歌をも作った。…
…医師の子に生まれたが,義太夫節を好み,2世豊竹此太夫の門に入って,豊竹光太夫を名のる太夫として出発した。1761年(宝暦11)には豊竹座で此太夫と同座,以後もほとんど此太夫と行動を共にしている。65年(明和2)8月,豊竹座が退転し,此太夫は翌年8月豊竹此母座を結成,同年冬北堀江市の側に豊竹此吉座本の新芝居を興した。…
…筑後掾(義太夫)没後の危機も,《国性爺合戦》の成功や竹本政太夫(播磨少掾)らの活躍で切りぬけた。近松亡きあと,出雲,松洛,文耕堂ら合作による人形浄瑠璃の名作が,此太夫(筑前少掾),2世政太夫や人形の吉田文三郎らで上演され,豊竹座と競いつつ盛況をきわめた。豊竹座の東風に対して,地味で写実的な竹本座の浄瑠璃の様式は西風とよばれ(風),人間を深く表現した。…
…同時に近松は,雄大,華麗に時代物にも健筆をふるい,《酒呑童子枕言葉》《傾城反魂香》《平家女護島》など100作近くを著したが,特に15年(正徳5)《国性爺合戦》は,17ヵ月続演の画期的大当りをとり,初代義太夫没後の竹本座の基礎を固め,この成功を契機として,18世紀前半の上方演劇界で,浄瑠璃は歌舞伎を圧し,現代劇の首座を占めるに至る。
[浄瑠璃全盛期――1720年代~1751年]
1703年初代義太夫の門弟豊竹若太夫(越前少掾)は,竹本座から独立し豊竹座を創立,持ち前の美声と経営的手腕で地歩を固め,初代義太夫,近松没後の浄瑠璃界は竹豊両座対抗の時代を迎えた。両座の競争により浄瑠璃界はいっそう活気を帯び,享保後半~寛延期(1726‐51)25年間に,現在の文楽や歌舞伎の主要演目となる名作が次々と初演されるが,近松・紀海音(1723年(享保8)以前の豊竹座作者)時代と異なり,これらの作品の多くは合作制により生み出された。…
※「豊竹座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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