安芸庄(読み)あきのしよう

日本歴史地名大系 「安芸庄」の解説

安芸庄
あきのしよう

安芸平野と安芸川上流一帯を荘域とするが、成立の時代は明らかでない。荘域内には「和名抄」東急本記載の玉造たまつくり黒鳥くろどり布師ぬのし三郷があり、それらを中心にした国衙領が、平安末期に荘園化したものと推定される。荘名は建長二年(一二五〇)一一月日付の九条道家初度惣処分状(九条家文書)にみえ、別当三位源雅光が九条家に譲進し、さらに道家より尚侍殿(道家女藤原全子)家領として分譲する旨を記した荘園の一つとされる。弘安九年(一二八六)一二月二五日付の二条師忠御教書(「中臣祐春記」所収)に「安芸庄(布カ)師郷年貢米到来」とあり、この頃、二条家の荘園となっていたらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む