安那駅
やすなのえき
古代山陽道の駅。備後には安那・品治・者度の三駅が置かれ、駅馬は各二〇疋であった(「延喜式」兵部省)。安那駅は西中条字藤森の通称道頭から南接する湯野字馬崎にかけての地に比定され、明治一五年(一八八二)刊の「西中条村誌」は藤森から駅鈴が出土したと記している。
備中国後月郡を通って備後に入った山陽道は、おそらく八尋を山沿いに抜け、上御領・下御領を通り、国分寺・小山池の南側を通って安那駅に達し、要害山塊と西中条との間を西に抜け、道上を経て山沿いを府中に達していたと推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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