朝日日本歴史人物事典 「安部竜平」の解説
安部竜平
生年:天明4(1784)
江戸後期の蘭学者。字は士魚,名は竜。蘭畝,蘭圃(甫)と号す。筑前国(福岡県)の微賤の生まれだが,福岡藩士の養子となり,のち士籍に列せられた。青木興勝,次いで長崎の志筑忠雄に蘭学を学び,志筑の口述訳『二国会盟録』(ネルチンスク条約締結の記録)を筆記,補述した。文政2(1819)年に直礼城代組となり,のち藩主黒田斉清の蘭学指南役を務めた。編著に斉清とシーボルトの本草学上の問答録『下問雑載』(1828),斉清の海防論を増補した『海寇窃策』,蘭書による南北アメリカ地誌『新宇小識』がある。訳述態度は批判的で,シーボルトの日本人種論に対し「我日本人ハ神孫タルコト外夷ノ人ノ知ルベキニアラズ」と反発するなど,強気な性格もうかがえる。<参考文献>井上忠「福岡藩における洋学の性格」(『日本洋学史の研究』Ⅰ)
(鳥井裕美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報