朝日日本歴史人物事典 「安都雄足」の解説
安都雄足
奈良時代の下級官人。東大寺などの造営にかかわり,正倉院文書,東大寺東南院文書などに多く名を残す。阿刀小足,安刀男足などとも書く。山背国紀伊郡拝志郷(京都市東山区・伏見区)出身かという。天平20(748)年9月東大寺写経所舎人と初めてみえ,天平勝宝6(754)年から天平宝字2(758)年1月ごろまで越前国(福井県)史生として東大寺領荘園の経営にかかわる。同年3月以降,造東大寺司主典正八位上。次いで宝字3,4年に法華寺阿弥陀浄土院,同6年に石山寺(大津市)の造営に当たり,同8年1月を最後に文書から姿を消す。雄足の職務と結びついた流通経済での私富形成が注目されつつあり,律令国家の下級役人像の好素材となっている。<参考文献>鬼頭清明『日本古代都市論序説』
(原秀三郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報