天皇や皇族に近侍し護衛を任務とした下級官人。令制以前の舎人は6世紀後半から設置され,東国を中心に国造(くにのみやつこ)やその一族から朝廷に貢進され,名代・子代(なしろこしろ)として隷属した。〈とねり〉の名は〈とのはべり(殿侍)〉のちぢまったものという(《古事記伝》)。国造またはその一族は舎人直(とねりのあたい)として舎人を統率し,舎人部は舎人の管掌下に舎人の資養物を貢進することなどを負担し,舎人直-舎人-舎人部という階層関係がみられた。《日本書紀》における,大化以前関係の記載にみえる〈帳内〉(雄略即位前紀),〈兵衛〉(用明1年5月条),〈資人〉(崇峻即位前紀)のいずれにも〈とねり〉という古訓がつけられているが,それらの名のもとに制度が整っていたかどうかは疑問で,《日本書紀》の編者が,その撰述年代における知識をもって,大化以前の当該記事を修飾したものとされる。
令制以後については673年(天武2)5月,仕官する者をまず大舎人(おおどねり)寮に収容し,その才能を試験したのち適当な職務につかせた。これは,天皇に近侍し,宿直や遣使をつとめる間に天皇に忠節をつくす習慣を養わせ,このように養成された大舎人を他の官司の官人に任じ,天皇による支配を官司に浸透させるしくみであったことを物語る。大宝令では大舎人の中から内舎人(うどねり)が分化した。令制の官司で定員の最も多いのは左右大舎人の各800人で,つぎは春宮坊舎人(東宮舎人,坊舎人)の600人,中宮職舎人の400人(中宮職は749年(天平勝宝1)に中宮省となる)である。以上の文官的舎人のほか,武官的舎人として衛門府の衛士(えじ)(805年(延暦24)のとき400人),左右衛士府の衛士(同時点,各600人),左右兵衛府の兵衛(ひようえ)(各400人)があり,さらに令外の舎人には,授刀(じゆとう)舎人(のち授刀衛舎人,近衛舎人,左近衛舎人),中衛舎人(右近衛舎人),皇后宮職舎人(紫微中台舎人,坤宮官舎人),雑工舎人,騎舎人,東大寺舎人,寺家舎人,造寺司舎人,政所舎人,供養所舎人,徴米舎人,領舎人,優婆塞舎人,御曹司令守舎人,上殿舎人などがある。
軍防令にみえる舎人の任用規定は,五位以上の人の子孫で21歳に達し,役任なく性識総敏,儀容端正なものを選び内舎人に任じ(このうち三位以上の人の子は選考なしで任用される),内舎人に採用されなかったものを大舎人,東宮舎人,中宮舎人に採用した。また内六位以下,八位以上の人の嫡子(嫡子がないときは庶子)すなわち位子(いし)で21歳に達し,役任のないものについて国司が簡(えら)び試(ため)し,儀容端正,書算巧妙者を上等,身材強幹,弓馬巧妙者を中等,身材劣弱,文算不識者を下等とし,上等と下等を式部省に,中等を兵部省に送り,式部省はさらに簡試し,上等を大舎人,下等を使部(しぶ)に任じ,兵部省はさらに中等を試練し兵衛に採用した。兵衛に採用するコースは,このほかに国司が郡司の子弟で強幹,弓馬巧妙者を選び,郡別に兵衛1人を貢進させた(采女(うねめ)を貢進する郡は兵衛を出さない)。
舎人制度の史的意義としては,第1に舎人をあらゆる階級から貢進させ,貢進地域を全国化することによって天皇による支配の浸透を謀ったことがある。第2に,舎人になることは律令官人として出身仕官する者が通る一つの重要なコースであり,大舎人寮,春宮坊,中宮職,皇后宮職,兵衛府などは,各官司の本務のほかに下級官人の養成機関の役割をもち,他の官司に対する官人補給源をなしていた。
なお,私的な〈とねり〉〈つかいひと〉として親王,内親王に給されるものを帳内(ちようない),諸臣に給されるものを資人(しじん)といった。資人には五位以上の有位者に給される位分資人と,中納言以上の官職につくものに給される職分資人とがあり,帳内とともに三色資人とも称した。また大宰府や諸国の官人に,職分田の耕作に使う正丁を事力(じりき)として職分により20人~2人給する制度もあり,〈とねり〉ともよばれた。
執筆者:井上 薫
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6世紀後半ころ国造(くにのみやつこ)またはその一族で朝廷に貢進され、天皇や皇族の護衛と雑役を勤めた下級官人。この舎人を統率したのは有力な国造やその一族の舎人直(とねりのあたい)であり、舎人部は舎人の従者・廝丁(しちょう)(炊事夫)を勤めるか、舎人の課役を負担したらしい。673年(天武天皇2)仕官する者をまず大舎人(おおとねり)として仕えさせ、天皇に忠節を尽くす習慣が体得されたのち、才能を試験して他の官司の職に任用することとした。これにより、天皇による支配を各官司に浸透させることを図ったのである。養老令(ようろうりょう)では、五位以上の人の子孫を内舎人(うどねり)(定員90人)、左右大舎人(各800人)、東宮(とうぐう)舎人(600人)、中宮(ちゅうぐう)舎人(400人、以上文官系舎人)に、内六位以下八位以上の人の嫡子または庶子を大舎人と武官の左右兵衛(ひょうえ)(各400人)に貢進させ、一般農民を衛士(えじ)(「とねり」とよぶ)に徴集し、舎人をあらゆる階級から貢進させ、貢進地域も全国化している。衛士の令制定員は不明で、805年(延暦24)では衛門府(えもんふ)衛士は400人、左右衛士府の衛士は各600人である。
舎人になることは律令官人として仕官する者が通る一つの重要なコースとされ、大舎人寮(りょう)、春宮坊(とうぐうぼう)、中宮職(しき)、兵衛府などは下級官人の養成機関の役割を担い、他の官司に対する官人補給源をなした。令外官(りょうげのかん)として皇后宮職舎人(のち紫微中台(しびちゅうだい)舎人、坤宮官(こんぐうかん)舎人)、授刀(じゅとう)舎人(のち授刀衛(じゅとうえ)舎人、近衛(このえ)舎人、左(さ)近衛舎人)、中衛(ちゅうえ)舎人(のち右近衛舎人)などがある。令制で諸臣の従者の帳内(ちょうない)(京官に授ける)、資人(しじん)(地方官に賜る)も「とねり」とよばれるが、『日本書紀』などにみえる令制以前の帳内・資人は令制用語を借りて記されたもので、古い時代の制度は不詳である。
[井上 薫]
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古代,中央の天皇・皇族・貴族に近侍して護衛や雑務にあたった従者。語源を「とのはべり」「とのいり」とする説がある。令制以前,舎人と記し,地方豪族からでて中央の皇族などに近侍した。壬申の乱では大海人(おおあま)皇子の舎人が活躍した。673年(天武2)大舎人(おおどねり)の制ができ,大舎人として天皇に仕えたのちに官司に任じられることになり官僚制的に編成された。大宝令以降では,トネリは蔭子孫(おんしそん)・位子(いし)など官人子弟からでて天皇らに仕える内舎人(うどねり)(令制で90人)をはじめ,大舎人(左右各800人)・東宮舎人(600人)・中宮舎人(400人)や,官人子弟・郡司子弟からなる武的トネリの兵衛(左右各400人),そして親王らに与えられる帳内(ちょうない),貴族に与えられる資人(しじん)(位分(いぶん)資人・職分(しきぶん)資人)などに分化し,下級官人として位置づけられた。
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…722年(養老6)には勤務年限を3年とし,養老令では1年としている。衛士の逃亡や弱体化が著しくなるにつれて,政府は衛府の武力の主体を地方豪族・下級官人層出身の舎人(とねり)に移すようになり,9世紀以降,衛士は宮廷の雑役に駆使される傾向が強まり,武力としての役割を失った。【笹山 晴生】。…
…摂関家に人身的に従属し,摂関家の政所をはじめ御服所,細工所等において宿直,警固,掃除等の番役に従事したもの。大番舎人の保有する屋敷地,在家,田畠を大番領といった。その成立については,(1)律令制の舎人制度が弛緩して摂関家にも行われるようになった。…
…諸官庁の構成のなかで,雑任(ぞうにん)クラスの下級職員は,いずれも番上である。すなわち,中央諸官庁,大宰府,諸国などの史生,中央の伴部,使部,官掌・省掌などの掌類,大舎人・東宮舎人・中宮舎人らの舎人(とねり),兵衛,および親王の公的従者である帳内(ちようない),貴族官僚の公的従者である資人などは,いずれも番上であり,また大宰府や諸国府に勤務した下級職員たちも番上であった。そして式部省に籍を置く散位六位以下は散位寮に番上し,地方諸国の外散位は国府に番上したのであり,国府に番上した下級職員たちとともに外分番ともよばれた。…
…和名を〈つわもののとねり〉といい,左右の兵衛府に各400人が所属した。令制以前,地方の国造の子弟などから貢上されて天皇,皇子の側近に仕えた舎人(とねり)の系譜をひくもので,7世紀後半の天武朝に制度の成立をみた。養老令の規定では,内六位以下八位以上の嫡子で21歳以上の者から選ばれる一方,令制以前の国造の後身である郡司の子弟で弓馬に巧みな者を,国司が貢上することとなっており,旧来の舎人の伝統が生かされていた。…
※「舎人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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