安里 清信
アサト セイシン
昭和期の住民運動家 金武湾を守る会代表世話人。
- 生年
- 大正2(1913)年9月20日
- 没年
- 昭和57(1982)年10月22日
- 出生地
- 沖縄県与那城村(現・与那城町)
- 学歴〔年〕
- 大邱師範卒
- 経歴
- 津堅小・中学校長、琉球政府森林審議会委員、沖縄観光開発公社理事を歴任。復帰後は、沖縄本島中部の金武湾に建設が進められた石油備蓄基地(CTS)に反対して、“金武湾を守る会”を結成。ハンストの決行など、沖縄県の環境保存運動の先頭に立った。著書に聞き書「海はひとの母である」。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
安里清信 あさと-せいしん
1913-1982 昭和時代後期の社会運動家。
大正2年9月20日生まれ。小・中学校の校長などののち,農業に従事。昭和48年金武(きん)湾を守る会を結成し代表世話人となり,沖縄本島中部の金武湾での石油中継基地(CTS)建設に反対した。昭和57年10月22日死去。69歳。沖縄県出身。大邱師範卒。著作に「海はひとの母である―沖縄金武湾から」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 
安里 清信 (あさと せいしん)
生年月日:1913年9月20日
昭和時代の社会運動家
1982年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 