日本歴史地名大系 「安野呂村」の解説 安野呂村あんのろむら 北海道:檜山支庁厚沢部町安野呂村[現在地名]檜山郡厚沢部町赤沼町(あかぬままち)・字滝野(たきの)・字稲見(いなみ)・字清水(しみず)近世から明治三九年(一九〇六)までの村。赤沼村の北東、厚沢部川支流安野呂川下流域の北岸に位置する。当村は正保年間(一六四四―四八)頃、乙部(おとべ)村(現乙部町)から久右衛門が来て、杣業・農業に従事したのに始まるという(明治一九年「青江理事官諮問回答書」市立函館図書館蔵)。天保郷帳に安野路村とみえる。「北夷談」に「厚沢部の内安野呂村に至る処、畑作よく熟し、別て粟は穂の長さ尺余にして実入りよし。本邦にも是を見ず」「此所より出る蕎麦別して上品、風味もよく、信州の産に異ならず」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by