北方探検家、著述家。文化(ぶんか)15年2月6日、伊勢(いせ)(三重県)の郷士(ごうし)の三男として生まれる。名は弘(ひろむ)、字(あざな)は子重。長じて武四郎を通り名としたが、著書の多くは竹四郎を用い、また多気志楼とも号した。1830年(天保1)津(つ)の儒者平松楽斎(ひらまつらくさい)の塾に入る。1833年江戸に行き、その後諸国を遊歴。この間にロシアの南下による北方の危機を聞き、蝦夷(えぞ)地の探検を決意した。しかし旅人が奥地へ入ることは許されなかったため、1845年(弘化2)場所請負人和賀屋孫兵衛(まごべえ)手代庄助(しょうすけ)と変名し、東蝦夷、知床(しれとこ)岬まで到達、翌年は北蝦夷地勤番役の僕(しもべ)として樺太(からふと)(サハリン)を探検した。さらに1849年(嘉永2)には国後(くなしり)・択捉(えとろふ)を探検し、この間に見聞したことを『蝦夷日誌』『再航蝦夷日誌』『三航蝦夷日誌』に著した。1855年(安政2)幕府御雇に登用され、翌年箱館奉行(はこだてぶぎょう)支配組頭、向山源太夫(むこやまげんだゆう)手付として東・北・西蝦夷地を巡回。1857年には東西蝦夷山川地理取調御用を命ぜられ、主要河川をさかのぼり内陸部をも踏査、『東西蝦夷山川地理取調図』『東西蝦夷山川取調日誌』として呈上したが公にされず、そのこともあってか1859年御雇を辞任、以後約10年間著作活動に専念した。1868年(明治1)新政府から東京府付属、ついで翌年には開拓判官(はんがん)に任命され、北海道名や国郡名などの選定にあたった。しかしアイヌ介護問題などについて政府の方針と意見を異にしたため病を理由に辞任、以来著作のかたわら諸州を漫遊、死去直前に従(じゅ)五位に叙せられた。
[山崎節子]
『吉田武三編『松浦武四郎紀行集』上中下(1975・冨山房)』
江戸末期の北方探検家。伊勢国一志郡須川村(現三重県松阪市,旧三雲町)の郷士松浦桂介(後に慶裕)の四男。幼名竹四郎,のち武四郎。諱(いみな)は弘(ひろむ),字は子重。1833年(天保4)から日本国中を遊歴し,38年から5年間長崎,平戸で僧となり,名を文桂と改めたが,この間長崎の乙名(おとな)津川文作から北方の事情を聞いて関心を強め,44年(弘化1)帰郷して還俗したうえで単身北行した。翌45年東西蝦夷地,46年北蝦夷地(樺太),49年(嘉永2)国後(くなしり)島,択捉(えとろふ)島を探査し,《初航蝦夷日誌》《再航蝦夷日誌》《三航蝦夷日誌》などを著した。54年(安政1)江戸幕府が箱館奉行を置いて翌55年蝦夷地を再直轄すると,幕府御雇として蝦夷地御用掛に起用され,56年から58年まで東西蝦夷地,北蝦夷地を探査して《竹四郎廻浦日記》《東西蝦夷山川取調日誌》《東西蝦夷山川取調図》などを著した。場所請負人のアイヌに対する過酷な扱いを詳細に記した日誌については公にすることを許されなかったこともあって,59年江戸に帰って御雇を辞し,以後市井において蝦夷地紹介を目的とする多くの著書を刊行した。68年(明治1)東京府付属,69年開拓判官に任用され,北海道の道名,国名,郡名を選定したが,新政府のアイヌ政策に同調できず,翌年辞任し,以後清貧に甘んじ著述をもって余生を過ごした。
執筆者:榎森 進
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(秋葉實)
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1818.2.6~88.2.10
幕末期の北方探検家。伊勢国一志郡須川村の郷士出身。1845年(弘化2)はじめて蝦夷地に入り,49年(嘉永2)にかけて樺太・択捉(えとろふ)島まで巡歴。55年(安政2)蝦夷地御用掛となり,翌年から58年にかけて蝦夷地を踏査し,場所請負制下に苦しむアイヌの人々の実情を明らかにする。69年(明治2)開拓使判官となり,北海道の名付親となったが,翌年辞任。「東西蝦夷山川地理取調日記」など著作多数。
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…ウイルタ語は,これを書く固有の文字がなく,口で話されるだけであるが,昔話(伝説),架空の物語,語り物(これはエベンキ語をまぜて使う),なぞなぞ,歌謡などの諸種の口承文芸がある。ウイルタ語の古い記録としては,江戸時代(19世紀半ば)にこの地方を調査した松浦武四郎がその単語をかなで記したものがある。【池上 二良】。…
…1981年三重県中央卸売市場が開設された。なお,蝦夷地探検で知られる松浦武四郎は当地の出身で,小野江にその生家跡がある。【上田 雅子】。…
※「松浦武四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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