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松浦武四郎 まつうら たけしろう

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美術人名辞典の解説

松浦武四郎

幕末の樺太北海道開拓の先駆者・大台ヶ原開拓者。伊勢の人。名は弘。明治21年(1888)歿、71才。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

松浦武四郎

1818(文化15)年、三重県松阪市生まれ。探検家。幕末に蝦夷地(現北海道)を6回にわたって歩き、「蝦夷日誌」と呼ばれる調査記録をまとめた。アイヌ民族とも交流を深め、北海道開拓の基礎を築いた。画家、書道家、歌人、登山家としての顔も持つ。釧路市内には松浦の名が地名や公園、郵便局などに残り、「釧路市中小企業基本条例」の前文でも武四郎の功績を記している。

(2012-02-23 朝日新聞 朝刊 2道)

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デジタル大辞泉の解説

まつうら‐たけしろう〔‐たけシラウ〕【松浦武四郎】

[1818~1888]江戸末期の探検家。伊勢の人。名は弘(ひろむ)。幼時より諸国を巡歴し、特に蝦夷(えぞ)地に関心を持ち、しばしば訪れて多数の紀行文や地図を残した。著「蝦夷日誌」など。

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百科事典マイペディアの解説

松浦武四郎【まつうらたけしろう】

幕末の北方探検家。伊勢の人。16歳から諸国を巡歴。一時僧となったが,1844年還俗(げんぞく)。1845年から東西蝦夷(えぞ)地,樺太(からふと)(サハリン),国後(くなしり)島択捉(えとろふ)島などを探査。
→関連項目十勝川三雲[町]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松浦武四郎 まつうら-たけしろう

1818-1888 江戸後期-明治時代の探検家。
文化15年2月6日生まれ。伊勢(いせ)(三重県)の郷士松浦桂介の4男。弘化(こうか)2年から東西蝦夷(えぞ)地(北海道),北蝦夷地(サハリン),国後(くなしり),択捉(えとろふ)を探検。和人のアイヌに対する収奪をふくめ,蝦夷地の姿をつたえる。安政2年幕府御雇の蝦夷地御用掛,維新後は開拓判官となり,北海道の道名,国名,郡名を選定した。明治21年2月10日死去。71歳。名は弘。字(あざな)は子重。号は北海,多気志楼など。著作に「三航蝦夷日誌」「近世蝦夷人物誌」など。
【格言など】我死なば焼くな埋めな新小田に捨ててぞ秋のみのりをば見よ(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

松浦武四郎

没年:明治21.2.10(1888)
生年:文政1.2.6(1818.3.12)
江戸末期の蝦夷地探検家。名は弘。号は北海,雅号多気志楼。伊勢国一志郡須川村(三重県一志郡三雲町)の郷士松浦時春4男,母登宇。16歳にして故郷を出奔し全国を遊歴して文人や勤王志士と交わった。弘化2(1845)年から安政5(1858)年まで6回にわたって蝦夷地を踏査し,初の詳細な蝦夷地誌である『蝦夷日誌』155巻を著して幕府に呈上したほか,その摘抄本というべき『蝦夷紀行』22巻を刊行している。日誌の中では,苛酷な扱いをされているアイヌ民族について「明日のご開拓より今日のアイヌの命を」と切々と訴えているが,安政大獄の期に当たり取り上げられなかった。明治2(1869)年8月開拓判官(局長級)に任じられ,北海道および国郡名の名付け親としても知られる。3年3月,維新政府によるアイヌ解放が果たされないことを理由に判官を辞任したが,異例にも終身15人扶持(米価換算150万円位)を給された。<参考文献>『簡約松浦武四郎自伝』

(秋葉實)

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世界大百科事典 第2版の解説

まつうらたけしろう【松浦武四郎】

1818‐88(文政1‐明治21)
江戸末期の北方探検家。伊勢国一志郡須川村(現,三重県一志郡三雲村)の郷士松浦桂介(後に慶裕)の四男。幼名竹四郎,のち武四郎。諱(いみな)は弘(ひろむ),字は子重。1833年(天保4)から日本国中を遊歴し,38年から5年間長崎,平戸で僧となり,名を文桂と改めたが,この間長崎の乙名(おとな)津川文作から北方の事情を聞いて関心を強め,44年(弘化1)帰郷して還俗したうえで単身北行した。翌45年東西蝦夷地,46年北蝦夷地(樺太),49年(嘉永2)国後(くなしり)島,択捉(えとろふ)島を探査し,《初航蝦夷日誌》《再航蝦夷日誌》《三航蝦夷日誌》などを著した。

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大辞林 第三版の解説

まつうらたけしろう【松浦武四郎】

1818~1888) 幕末の北方探検家。伊勢の人。幼名、竹四郎。名は弘ひろむ。字あざなは子重。数度の蝦夷えぞ地探検を試みる。明治維新とともに開拓判官となり、北海道名や国郡名を選定するが、政府のアイヌ政策を批判して辞任。著「蝦夷日誌」など。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松浦武四郎
まつうらたけしろう

[生]文政1(1818).2.6. 伊勢
[没]1888.2.10. 東京
江戸時代末期の探検家。幕末から明治にかけて蝦夷地 (北海道,サハリン,千島) を探検,蝦夷地開拓を明治政府にすすめ,開拓大主典に任じられた。主著『北蝦夷日誌』『三航蝦夷日誌』など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松浦武四郎
まつうらたけしろう
(1818―1888)

北方探検家、著述家。文化(ぶんか)15年2月6日、伊勢(いせ)(三重県)の郷士(ごうし)の三男として生まれる。名は弘(ひろむ)、字(あざな)は子重。長じて武四郎を通り名としたが、著書の多くは竹四郎を用い、また多気志楼とも号した。1830年(天保1)津(つ)の儒者平松楽斎(ひらまつらくさい)の塾に入る。1833年江戸に行き、その後諸国を遊歴。この間にロシアの南下による北方の危機を聞き、蝦夷(えぞ)地の探検を決意した。しかし旅人が奥地へ入ることは許されなかったため、1845年(弘化2)場所請負人和賀屋孫兵衛(まごべえ)手代庄助(しょうすけ)と変名し、東蝦夷、知床(しれとこ)岬まで到達、翌年は北蝦夷地勤番役の僕(しもべ)として樺太(からふと)(サハリン)を探検した。さらに1849年(嘉永2)には国後(くなしり)・択捉(えとろふ)を探検し、この間に見聞したことを『蝦夷日誌』『再航蝦夷日誌』『三航蝦夷日誌』に著した。1855年(安政2)幕府御雇に登用され、翌年箱館奉行(はこだてぶぎょう)支配組頭、向山源太夫(むこやまげんだゆう)手付として東・北・西蝦夷地を巡回。1857年には東西蝦夷山川地理取調御用を命ぜられ、主要河川をさかのぼり内陸部をも踏査、『東西蝦夷山川地理取調図』『東西蝦夷山川取調日誌』として呈上したが公にされず、そのこともあってか1859年御雇を辞任、以後約10年間著作活動に専念した。1868年(明治1)新政府から東京府付属、ついで翌年には開拓判官(はんがん)に任命され、北海道名や国郡名などの選定にあたった。しかしアイヌ介護問題などについて政府の方針と意見を異にしたため病を理由に辞任、以来著作のかたわら諸州を漫遊、死去直前に従(じゅ)五位に叙せられた。[山崎節子]
『吉田武三編『松浦武四郎紀行集』上中下(1975・冨山房)』

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世界大百科事典内の松浦武四郎の言及

【ウイルタ語】より

…ウイルタ語は,これを書く固有の文字がなく,口で話されるだけであるが,昔話(伝説),架空の物語,語り物(これはエベンキ語をまぜて使う),なぞなぞ,歌謡などの諸種の口承文芸がある。ウイルタ語の古い記録としては,江戸時代(19世紀半ば)にこの地方を調査した松浦武四郎がその単語をかなで記したものがある。【池上 二良】。…

【三雲[町]】より

…1981年三重県中央卸売市場が開設された。なお,蝦夷地探検で知られる松浦武四郎は当地の出身で,小野江にその生家跡がある。【上田 雅子】。…

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