厚沢部(読み)あっさぶ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「厚沢部」の意味・わかりやすい解説

厚沢部(町)
あっさぶ

北海道南西部、檜山(ひやま)振興局管内にある町。町名はアイヌ語の「ハチャムペツ」(桜鳥の飛び交う川)からの転訛(てんか)という。松前藩領であったが、廃藩置県で一時青森県に属し、1872年(明治5)開拓使の管轄、1876年俄虫(がむし)戸長役場を設置、厚沢部村となり、1963年(昭和38)町制施行。国道227号が通じる。厚沢部川と安野呂(あんのろ)川のつくる沖積平野河岸段丘山地などからなる。山地が多く製材工場が多い。沖積平野は道南の米どころで、畑ではメークインのジャガイモスイカ、メロンを産する。ゴヨウマツヒノキアスナロヒバ)の北限地で、鶉川ゴヨウマツ自生北限地帯(うずらがわごようまつじせいほくげんちたい)は国指定天然記念物。1868年(明治1)松前藩の築城した館城跡(たてじょうあと)は国指定史跡である。面積460.58平方キロメートル、人口3592(2020)。

[瀬川秀良]


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改訂新版 世界大百科事典 「厚沢部」の意味・わかりやすい解説

厚沢部[町] (あっさぶ)

北海道南西部,檜山支庁檜山郡の町。人口4409(2010)。松前半島の基部にあたり,西流して日本海に注ぐ厚沢部川の集水域を町域としている。総面積の8割は国有林を主とする森林で,耕地は狭い。厚沢部川とその支流の谷床は比較的広く,水田が開け,内陸部には緩傾斜台地が広がり,畑作が行われ,豆類,バレイショ,テンサイなどが作付けされている。天正年間(1573-92)以降俄虫(がむし),目名,安野呂(あんのろ),赤沼,土橋の村落が順次開け,江戸時代はヒノキの中心産地であった。鶉(うずら)川上流のゴヨウマツ自生地は,日本海側の自生北限地として天然記念物に指定されている。道指定の史跡館城跡は,厚沢部川中流部の高台にあり,五稜郭の戦古戦場で,松前城を退いてここに拠った松前藩軍は榎本武揚軍の攻撃に敗走し,その陣屋は焼き払われた。
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百科事典マイペディア 「厚沢部」の意味・わかりやすい解説

厚沢部[町]【あっさぶ】

北海道檜山郡の町。江差町東隣にある。厚沢部川流域の広い山地はヒバ林地帯。農業基幹とし,米,ジャガイモ,大豆,小豆,ダイコンなどを産する。460.58km2。4409人(2010)。

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