宝妙寺(読み)ほうみようじ

日本歴史地名大系 「宝妙寺」の解説

宝妙寺
ほうみようじ

[現在地名]有漢町有漢

有漢市場うかんいちばにあり、浄池山と号し、真言宗御室派。本尊阿弥陀如来。元禄九年(一六九六)と享保一一年(一七二六)の宝妙寺増書上(「岡山県金石史」続)によれば、天長年中(八二四―八三四)空海の開基とされ、飛騨匠による本堂仁王門などがあったが、のち衰退したと伝える。文和元年(一三五二)円宗が当時の松山まつやま(現高梁市)城主秋庭肥後守重明の支援を得、延文五年(一三六〇)に本堂を再建するなど中興開山となった。応永一九年(一四一二)八月一八日の京都北野社一切経供養に際し、「有漢保法妙寺」で上野澄尊が大般若波羅蜜多経を書写している(京都市大報恩寺蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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