宝生 九郎(16代目)(読み)ホウショウ クロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「宝生 九郎(16代目)」の解説

宝生 九郎(16代目)
ホウショウ クロウ


職業
能楽師(宝生流シテ方)

肩書
宝生流宗家(16代目)

本名
宝生 知栄(ホウショウ トモハル)

別名
別称=宝生 九郎知栄(ホウショウ クロウトモハル),幼名=石之助

生年月日
天保8年 6月8日

出生地
江戸・神田(東京都)

経歴
6歳のころ江戸城内で初舞台、嘉永6年(1853)家督を相続。幕府が倒れたあとは、能を離れて商人や農業を志したが、明治11年宮内省御能係となる。以後、維新後に衰微した能楽復興の支柱となって明治の能楽界に君臨して宝生流隆盛の礎を築き、梅若実、桜間伴馬とともに明治三名人といわれる。39年70歳のとき「安宅」延年の舞で能を舞い納め、以後は後進の養成に没頭した。大映映画「獅子の座」は幕末最後の勧進能における石之助時代を描いたもの。ワキ方・狂言方・囃子方にも素養が深く、「謡曲口伝」の著書がある。

没年月日
大正6年 3月9日 (1917年)

家族
父=宝生 弥五郎(=友于 宝生流15代目宗家),養子=宝生 九郎(=重英 17代目宗家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「宝生 九郎(16代目)」の解説

宝生 九郎(16代目)
ホウショウ クロウ

明治期の能楽師(宝生流シテ方) 宝生流宗家(16代目)。



生年
天保8年6月8日(1837年)

没年
大正6(1917)年3月9日

出生地
江戸・神田

本名
宝生 知栄(ホウショウ トモハル)

別名
別称=宝生 九郎知栄(ホウショウ クロウトモハル),幼名=石之助

経歴
6歳のころ江戸城内で初舞台、嘉永6年(1853)家督を相続。幕府が倒れたあとは、能を離れて商人や農業を志したが、明治11年宮内省御能係となる。以後、維新後に衰微した能楽復興の支柱となって明治の能楽界に君臨して宝生流隆盛の礎を築き、梅若実、桜間伴馬とともに明治三名人といわれる。39年70歳のとき「安宅」延年の舞で能を舞い納め、以後は後進の養成に没頭した。大映映画「獅子の座」は幕末最後の勧進能における石之助時代を描いたもの。ワキ方・狂言方・囃子方にも素養が深く、「謡曲口伝」の著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報