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勧進能 かんじんのう

6件 の用語解説(勧進能の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

勧進能
かんじんのう

本来は寺社への喜捨のために,入場料をとって行なった能の興行のこと。永享5 (1433) 年,寛正5 (64) 年に京都糺河原 (ただすがわら) で,永正2 (1505) 年京都粟田口で行われたものが名高い。

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デジタル大辞泉の解説

かんじん‐のう〔クワンジン‐〕【勧進能】

勧進2のために公儀の許可を得て興行する能。のちには、それを名目に営利興行した。
江戸時代、観世大夫が一代に一度だけ幕府の許可を得て催した特別な興行。一世一代勧進能。一代能。御免能。

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百科事典マイペディアの解説

勧進能【かんじんのう】

勧進とは元来,仏道に入ることを人に勧める意であるが,中世以後,寺社の堂塔建立のための資金を集めることをさし,その手段として能や相撲の興行が行われた。勧進能は江戸以降は能役者自身のための催能となり,幕府が能太夫に許す一世一代の大掛りのものもあった。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんじんのう【勧進能】

近世以前にあった入場料をとって公開した大規模な能の催しをいう。勧進とは元来寺社建立,橋梁・道路等の整備補修のための臨時的な寄付募集行為で,勧進能も初めはその目的に沿って催されたが,後には能役者自身の収益をはかるために興行されるようになった。原則として能役者が勝手に興行することはできず,武家貴人の許可と後援とを必要とする特別な行為で,この点は江戸期にいたるまで変わらなかった。勧進能の起源は不明。記録上の所見は田楽による勧進能がやや先行し,猿楽はそれより遅れるが,14世紀の半ばにはかなり盛行していたようである。

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大辞林 第三版の解説

かんじんのう【勧進能】

勧進のために、公許を得て興行する能。かんじん。
江戸時代、観世太夫が一生に一度許されて催した大規模な個人興行の能。一世一代勧進能。御免能。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

勧進能
かんじんのう

寺社建立や橋の建造、修理などの費用を集めるために催された興行能。鞍馬(くらま)寺改修を名目とする1464年(寛正5)の京都糺河原(ただすがわら)勧進能などが名高く、音阿弥(おんあみ)が出演し、将軍足利義政(あしかがよしまさ)以下が観覧した。のちには能役者自身のための催しとなり、とくに江戸ではしばしば催された。一方、幕府が能大夫(のうだゆう)に許す一世一代の大掛りなものもあったが、その最後の例は、1848年(嘉永1)の宝生(ほうしょう)大夫弥五郎(やごろう)の江戸筋違(すじかい)橋における勧進能で、晴天15日間、見物札は5万2500枚に及んだ。[増田正造]

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世界大百科事典内の勧進能の言及

【能】より

…初期には舞台の後方に橋掛り(はしがかり)を付けるなど,現在と著しく違う形の能舞台もあったが,江戸時代には様式が固定した。能舞台は元来屋外に建造するもので,これと相対する別棟の建物を正規の観客席としたが,勧進能など大衆の入場する催しでは両者の中間にある白洲(しらす)をその席に当てた。しかし,おもだった能役者は自宅の屋内に稽古(けいこ)舞台を持っていたので,明治以後はそこで公開の催しを行うようになった。…

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