20世紀日本人名事典 「宮崎敬介」の解説
宮崎 敬介
ミヤザキ ケイスケ
- 生年
- 慶応3年11月17日(1867年)
- 没年
- 昭和3(1928)年10月17日
- 出生地
- 大阪・天王寺茶臼山町
- 旧姓(旧名)
- 角中
- 学歴〔年〕
- 立教学校卒
- 経歴
- 大坂で角中豊平の四男に生まれ、のち熊本県の宮崎勇太郎の養子となる。師範学校を経て、立教学校神学部を卒業後、米国に渡って苦学する。帰国後実業界に入り、東京株式取引所仲買人を経て、明治36年大阪の堂島米穀取引所支配人となり、のち理事長に就任、神戸商品取引所理事長を兼務した。また大阪土地建物を創立して社長となり、大阪電灯社長、大同電力副社長、門司築港社長、漢口・天津の各取引所重役などを務め、関西実業界の重鎮として活躍した。著書に「欧米より帰りて」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報