ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮廷バレエ」の意味・わかりやすい解説
宮廷バレエ
きゅうていバレエ
Ballet de cour
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… 都市全体を多型的(ポリモルフ)な劇場に変容させるページェントやパレードが,その一部に参加し一部を見ることで全体的祝祭を共有するのに対して,劇場が〈閉ざされた空間〉となることにともない,その内部で虚構的に再現される〈聖なる物語〉の総体を見ることによって,共同体の構成員が合体感を体験するという形になる。このような,社会の他の部分から切り離され閉ざされることによって,高度に象徴機能を集約した特権的でもあり統合的でもある空間は,16世紀末から17世紀にかけてフランスを中心に流行する公開の宮廷バレエの演戯空間にも現れ,同時代の共同幻想を,異教神話の象徴的表現を介して絶対王権の成立へとつなぐ役割をしている。日本でいえば室町期の能舞台は客席張出し型であり,それを囲むように桟敷が組まれたが,その記憶は江戸幕府の式楽となって以来の現行の能舞台にも残っているし,また歌舞伎も,〈悪所〉として常設劇場に囲い込まれた後でも,江戸時代には,単に花道だけではなく本舞台が客席に張り出していた。…
…イタリアの仮装舞踏会は,16~18世紀にかけて盛んで,フランスやイギリスにも伝わった。フランスには1533年,カトリーヌ・ド・メディシスがのちのアンリ2世と結婚した時にもたらされ,宮廷バレエ(バレエ・ド・クール)の起源となった。イギリスにはチューダー朝のヘンリー7世やヘンリー8世の時から祝祭が派手になり,イタリアの仮装舞踏会も入ってくる。…
…こうして受難劇が本来の宗教的効果を失って,あまりにも豪奢でなまなましく,煽情的かつ幻想的なスペクタクルとなったため,1548年,パリ高等法院は受難劇禁止令を出すが,この流行は16世紀末まで続き,バロック演劇の隆盛とともに姿を消す。なお,16世紀後半の宗教戦争の激化の中で,絶対王権への共同幻想を結晶させる役割を果たすのはイタリア起源の〈宮廷バレエ〉であり(1581年の《王妃の演劇的バレエ》に始まる),それはのちにルイ14世によるベルサイユ宮における《魔法の島の楽しみLes plaisirs de l’ile enchantée》(1664)を頂点とする,古代神話の衣装をまとった絶対王権顕揚の世俗的大祝典劇を生む。キリスト教の典礼や物語にのっとった宗教劇は,バロック時代の劇作や,J.deロトルー《聖ジュネスト》,コルネイユ《ポリュクト》あるいはラシーヌ晩年の2悲劇の例はあるものの,以後は19世紀末のP.クローデルの出現まで姿を消す。…
…(1)については,当時のフランス文明の趨勢であることを指摘するにとどめるが,ドイツ,イタリア偏重の西洋音楽史観とは衝突するかもしれない。 (2)については,まず宮廷歌謡と宮廷バレエとをあげよう。前者は対位法的な複雑さを避けて趣味の洗練を重んじる,短い有節歌曲であった。…
※「宮廷バレエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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