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歌謡 かよう

5件 の用語解説(歌謡の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

歌謡
かよう

音楽を伴う口承文芸。狭義には「うた物」を意味し,広義には「語り物」を含む。歌謡の根源をなす「うた物」とは,音楽的要素が重要な意味をもち,曲節豊かで変化に富み,歌詞の形態としては律調のある,いわゆる韻文的なものが中心をなす。

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デジタル大辞泉の解説

か‐よう〔‐エウ〕【歌謡】

流行歌民謡童謡俗謡などの総称。
韻文形式の文学作品中、特に音楽性を伴うもの。神楽歌催馬楽(さいばら)今様宴曲小歌などがある。「古代歌謡
歌い物のほか、語り物をも含む韻文形式の文学の総称。

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世界大百科事典 第2版の解説

かよう【歌謡】

声楽曲の総称。うた,または,うたう,という行為を示す語としての歌謡は,中国においては古くから使われ,たとえば,《史記》《漢書》あるいは阮籍の音楽論にすでに見られる。しかし,現在の日本での使い方は,明治以降の日本文学の研究者によるもので,読まれる詩歌に対して,歌われる詩歌を強調することを目的とした。今日では,歌詞と音楽という二分法が一般的であるが,時代や文化によっては,この両者が未分化のままで,歌謡が生みだされることも多いため,文学研究では,この語を拡大して使うこともある。

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大辞林 第三版の解説

かよう【歌謡】

言葉に節(旋律)を付けて声に出して歌うもの。うた(歌・唄)。声楽曲の歌詞・詞章を文芸と見なして主に国文学で用いる語で、通常は歌物うたいものだけでなく、語り物やかつて歌唱された歌(記紀歌謡や万葉集の歌など)をも含めていい、最広義では読む詩歌をも含めたすべての韻律文芸の総称としてもいう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

歌謡
かよう

広く歌謡という場合には言語・文字にとらわれないが、歌謡文学としてとらえるならば、ことばを媒介とするもので、口承性・音楽性を有し、文学と意識されない文学以前の領域にまでわたる。[徳江元正]

日本

歌謡を、古代にはうたうたふといった。『古事記』の冒頭須佐之男命(すさのおのみこと)の「八雲(やくも)立つ……」を和歌の始まりとし、『古今和歌集』仮名序では伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)男女二神による55の唱和に、『筑波問答(つくばもんどう)』では日本武尊(やまとたけるのみこと)と御火焼之老人(みひたきのおきな)との577の唱和にさかのぼってその始原を求めている。うたふかたるよむあそぶなどとも密接なかかわりをもち、詞章のみならず、その旋律・舞いぶりなど音楽・芸能面からの考察をも必須(ひっす)とする。うたの語源には諸説あるが、言霊(ことだま)によって相手の魂に強く激しい衝撃を与える意の「打つ」からきたものと考えられる。『古事記』『日本書紀』の190首(重複を除く)や『琴歌譜(きんかふ)』にみられる古代歌謡は、のちに雅楽寮(うたまいづかさ)・大歌所(おおうたどころ)に集められ保管され、民間のうたをもくみ上げて大歌とよばれたが、民間のものは『風土記(ふどき)』や『万葉集』などに多くみられ、歌垣(うたがき)のときのものや東歌(あずまうた)など民謡も少なくない。
 中古(平安時代)には、神楽歌(かぐらうた)が選定され、もと東国の歌舞である東遊(あずまあそび)が諸社で行われるようになり、朗詠とともにもてはやされた催馬楽(さいばら)は、風俗(ふぞく)を唐楽の旋律に合わせたもので、これらはいずれも貴族社会で行われた。声明(しょうみょう)(仏教歌謡)の講式がおこり、郢曲(えいきょく)・雑芸(ぞうげい)や新興歌謡の今様(いまよう)が流行し、仏教歌謡の和讃(わさん)は神事歌謡をも摂取し、754句からなる狭義の今様560首の集成『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』が編まれた。
 中世(鎌倉・室町時代)になると、雑芸からの流れとして、延年(えんねん)の諸歌謡があり、東国文化圏にあっては宴曲(えんきょく)(早歌(そうが))を生み出し、『宴曲集』が編まれた。語物(かたりもの)としては、琵琶(びわ)法師による平曲(へいきょく)が流行し、この流れは浄瑠璃(じょうるり)・説経(せっきょう)などへ受け継がれた。前代以来の和讃も盛行し、南北朝には謡曲・幸若(こうわか)舞曲が行われ、短小のものでは民間から小歌(こうた)がおこってきて、『閑吟集(かんぎんしゅう)』成立の気運をもたらし、それらのおもかげは、小謡(こうたい)や狂言小歌などに伝えられ、『宗安(そうあん)小歌集』や隆達節(りゅうたつぶし)を経て次の時代に受け継がれてゆく。中世末期には、風流踊(ふりゅうおどり)の盛行に伴い、組歌風の踊歌が多く生み出され、西国の田植歌の集成である『田植草紙』とともに民俗性豊かなものとして伝えられている。
 近世(江戸時代)は、三味線の渡来によって一段と華やかさと洗練の度とを加え、前代からの風流踊と念仏とが一体化した念仏踊から女歌舞伎(おんなかぶき)と深くかかわり合い、多様化を促進した。多くは上方(かみがた)で発生し江戸で達成をみるという経路をとり、上方歌・地歌は江戸長唄(ながうた)へ展開し、『松の葉』は組歌・長歌・端歌(はうた)を収め、前代以来の小歌の流れは、三四四三三四五調を完成させ、弄斎(ろうさい)・片撥(かたばち)から投節(なげぶし)の盛行を招来した。初期には、金平節(きんぴらぶし)をはじめとする浄瑠璃が上方に伝わり、義太夫節(ぎだゆうぶし)が大成、この語物系統の歌謡は、諸派の箏曲(そうきょく)とともに行われた。
 明治期には、琵琶(びわ)歌・の系統の浪花節(なにわぶし)が流行し、時勢に応じた軍歌、賛美歌、作詞に文人が参加した童謡、戦時下の国民歌謡、また第二次世界大戦後は歌謡曲が大流行する一方、民謡が再評価された。男女による応酬ではないが、秋田県の民俗行事カケウタは現代の「歌争ひ」ともいえる。多くの神事や芸能のなかには、古代まではさかのぼれなくとも、中古の歌謡の旋律を思わせるものは少なからず残存しており、日本民族の歌好きの風は、いまに衰えぬのど自慢素人(しろうと)コンクール、カラオケ、歌合戦の人気にまで及んでいる。[徳江元正]

中国

紀元前9世紀から前7世紀ごろまでの歌謡を収めた『詩経(しきょう)』は中国最古の歌謡集といえる。黄河流域各地から集められた恋歌、作業歌などの素朴な民謡のほか、儀礼的、宗教的歌謡が多数みえる。
 漢代になると楽府(がふ)とよばれる歌謡が現れる。楽府とは、もと楽曲をつかさどる役所の名であるが、のち管弦にあわせて歌う歌謡一般の呼び名となった。漢以後、唐・五代に至る楽府は、宋(そう)の郭茂倩(かくもせん)編『楽府詩集』に集められている。そのうち、漢代楚(そ)地方の民謡を基にした歌謡は、愛情や生活が生き生きと歌われ、楽府の精華とされる。下って南朝の子夜歌(しやか)に代表される歌謡も繁華な巷(ちまた)の艶情(えんじょう)を伝えて見逃せない。
 唐代、西域(せいいき)の音楽が移入されると、盛唐のころから宋代にかけて、この新しい旋律に歌詞がつけられて歌われた。その歌詞を詞(し)というが、艶麗で繊細な情緒をいまに残している。詞はやがて、音楽から離れた韻文形式として開花する。
 元代に入ると、散曲(さんきょく)とよばれる歌謡がおこる。北方からの異民族とともに、弦楽器を中心とする音楽がもたらされ、多様な旋律が生まれたことも背景にあるであろう。散曲は元曲(げんきょく)という一種の歌劇の唱(うた)の部分にも組み込まれて盛行する。俗語を駆使し、内容も叙情から叙事にわたり、ときに風刺を交え、庶民に歓迎された。明(みん)・清(しん)代には、散曲はその清新さを失うが、一方、鼓詞(こし)や弾詞(だんし)などの語物の歌唱部分に取り入れられて発展するのである。
 明代以降、江南を中心として手工業が発展、各地の民謡が都市に流入した。明の馮夢龍(ふうぼうりゅう)編『山歌(さんか)』には、各地の山歌とよばれる、恋歌を主とする素朴な民謡や、その俗曲化したものが多数収められている。
 中華人民共和国成立後、各地の伝統的な民謡に光があてられ、新しい内容が歌い込まれて多くの新民歌が生まれている。一方で、近代的な歌曲も盛んである。[菊田正信]

西洋

その起源は模糊(もこ)としてうかがい知れないが、死んだ妻をしのんで冥界(めいかい)に降(くだ)り、王プルトの前でリラを必死に演じて現世帰還を許されながら果たせなかったオルフェウスこそ、さしずめ歌謡楽人の祖といえよう。紀元前6世紀になると、オリンピアードに欠くことのできない勝者賛歌のオード(エピニキオン)の作者であるピンダロスが出て、これを完成。のち、ローマのホラティウスがこれを継承し、さらにフランスのロンサールがこれを復興した。また、同じ前6世紀にはレスボスの島に生まれたサッフォーがある。彼女はさしずめアフロディテの巫女(みこ)で、多くの女性を愛し、情炎と惜別の哀感を炸裂(さくれつ)するようなサフィック・バース四行詩に書いて歌った西欧最初の女流詩人であった。同じく同時代のアナクレオンにはそのような情熱の奔騰はみられないが、後世いわゆるアナクレオンティックと称される現世享楽の歌謡30編が残されている。一方『旧約聖書』は『雅歌』と『詩篇(しへん)』とをもって宗教賛歌の精髄を示しているが、前者はソロモンの作、後者はダビデによってつくられたといわれる。しかし、これを歌った歌曲は失われて知るよしもない。3、4世紀のころに至って組織化された教会は、東方各地にそれぞれ典礼の聖歌曲をもったが、6世紀末グレゴリウス6世によって統一整理されて今日の教会音楽の基礎を固めた。雅歌にみる、花嫁と花婿との纏綿(てんめん)たる情熱はキリスト教的信仰の象徴的表現である。
 12世紀初頭から13世紀の中ごろにかけて、南フランスを起点としてヨーロッパ各地に貴女崇拝の理念が生じ、詩人(なかには王公貴族もいる)は心の貴女に寄せる報われることない愛の欣求(ごんぐ)を精練に精練を重ねた詩に歌い込み、それに自ら曲をつけて貴婦人の前で歌って捧(ささ)げた。これがヨーロッパ文学にみるいわゆるロマンチックな愛の詩の祖である。いまに残されている詩人の名は数百あり、これが南フランスではトルーバドゥール、北フランスではトルーベール、ドイツではミンネゼンガーとよばれた。14世紀に入ると、シャンソン、バラード、モテット、ロンドー、ロンデルなどの、いわゆる定型詩が形を整え、それを歌う旋律にくふうが凝らされて、中世歌謡曲全盛の時代に入る。ギヨーム・ド・マショー、ウスタシュ・デシャンEustache Dechamps(1346―1406/07)などがその名手である。これらのいわば創作詩のほかに、素朴な民謡が――たとえば『きぬぎぬの別れの歌』『パストゥーレル』『マル・マリエ』とよばれて不幸な結婚をした女の歌などの民間の歌謡が、しかも上層貴族の間にあってさえ歌われるようになる。
 歌謡における15世紀イタリアでの大きな収穫は定型詩ソネットの創造であろう。カンツォーネとともにやがて西欧を風靡(ふうび)する。これに対してドイツでは、ルターの革新宗教に随伴して聖歌の新作がおこり、オルガンの伴奏によって聖歌曲が氾濫(はんらん)する。これに反してフランスでは、ロンサールを盟主とする言語ならびに詩歌の高揚運動がおこり、ギリシア・ローマのほとんどあらゆる様式の復興、なかでもロンサールはピンダロスの荘重オード、フランス建国をことほぐ古典的叙事詩の大作を書くが、一面、詩と謡を引き離す結果となった。ことに、17世紀の純正悲劇は劇から音楽を追放した結果、美しいフランス語のリズムは聞かれても音楽は完全に劇から剥(は)ぎとられ、かわってオペラが生まれ出る。これに反して18世紀後半におこったプレロマンティシズムは、自然と民族の思想を打ち出し、辺境諸国、スコットランド、スペイン、ギリシアなどの民謡が収集され、『オシアン』の古詩、バーンズのスコットランド方言による歌曲、トムソンの『四季』(1726~30)、ビュルガーの『レオノーレ』(1774)、トレサン伯の『ロマンス』(18世紀後半)、ワーズワースとコールリッジの『叙情民謡集』(1798)、ハイネの『歌の本』(1827)など、19世紀の歌曲全盛の序曲が始まる。[佐藤輝夫]
『高野辰之編『日本歌謡集成』正12巻・続5巻(1960~69・東京堂) ▽浅野建二・志田延義・平野健次他編『日本歌謡研究資料集成』全10巻(1976~82・勉誠社) ▽高野辰之著『日本歌謡史』(1926・春秋社/復刻版・1981・五月書房) ▽志田延義著『日本歌謡圏史』(1968・至文堂) ▽臼田甚五郎他編著『日本歌謡文学』(1975・桜楓社) ▽中西進・新間進一編著『日本の歌謡』(1975・河出書房新社) ▽田中謙二著『中国詩文選23 楽府・散曲』(1983・筑摩書房)』

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世界大百科事典内の歌謡の言及

【童謡】より

…古代日本で巷間に流行した歌謡のことで,特に種々の社会的事件の前兆と考えられたものをさす。《日本書紀》《続日本紀》以降の六国史および《日本霊異記》には,7~9世紀のわざうた約20首が,そのときどきの事件と付会されてのっている。…

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