宮所牧
みやどころのまき
「延喜式」に左右馬寮領の信濃国の一六牧の内に「宮処牧」とあるのが初見。治承四年(一一八〇)九月甲斐の武田信義・一条忠頼らによって諏訪社上社に寄進された「宮所郷」とは同一の領域か。牧の設置についてはつまびらかでない。
「政事要略」の「外記日記」(年月不詳、承平七年か)に、「今日信乃諸牧、(大室・新治・宮所・長倉・猪鹿・山鹿)御馬五十七疋、(六十疋内三疋者、有所煩途中留者)牽進」とあり、そのうち宮所牧の貢馬は一〇匹であった。牧に関する遺跡はつまびらかでないが、その領域は宮所郷と同じく横川川や小横川川の谷を含んでおり、北大出にまで延びていたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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