上伊那郡(読み)かみいなぐん

日本歴史地名大系 「上伊那郡」の解説

上伊那郡
かみいなぐん

面積:九七八・一六平方キロ
辰野たつの町・箕輪みのわ町・南箕輪みなみみのわ村・宮田みやだ村・飯島いいじま町・中川なかがわ村・高遠たかとお町・長谷はせ

天竜川上流にあたり、東は赤石あかいし山脈(南アルプス)をもって山梨・静岡両県、西は木曾山脈(中央アルプス)をもって木曾郡に接する。北は両山脈の北端の山々をもって諏訪郡、茅野ちの・諏訪・岡谷塩尻しおじり市などと境し、南はほぼ小渋こしぶ川をもって下伊那郡と隣接する。

中央を南流する天竜川の両側には何段かの河岸段丘があり、特に西側山麓には扇状地が発達し、それが東流する大小の支流によって深く浸食されいわゆる田切たぎり地形を作っている。天竜川と赤石山脈との間には伊那山脈があり、三峰みぶ川は伊那山脈を横切って西流し天竜川第一の支流となっている。

「東仙丈せんじよう西駒にしこまヶ岳、あいを流るる天竜川」とか「伊那は七谷」とかの歌の文句で伊那谷の地形は言い表されているが、天竜川及び大小支流の河岸段丘や山麓台地、あるいは段丘崖下の氾濫原が古来人々の生活の舞台であった。

〔原始・古代〕

きようヶ岳の東山麓が緩傾斜をもって東に広がる南箕輪村の神子柴みこしば遺跡は神子柴型石器を出土し、この地を中心とする一帯は上伊那地方唯一の先土器遺跡である。

これに次ぐ縄文期の早い遺跡としては駒ヶ根こまがね舟山ふなやま辻沢つじさわ遺跡のように段丘の突端部に立地する傾向もみられるが、箕輪萱野かやののように山頂にもみられる。次いで東海地方の文化の影響もみられる前期の遺跡としては辰野町丸山まるやまや宮田村の中越なかごし遺跡があり、特に中越遺跡は早期末から前期にかけての一大集落遺跡である。中期の遺跡・遺物の分布は全郡的に極めて多く、箕輪町中道なかみち、伊那市月見松つきみまつ御殿場ごてんば駒ヶ根大城林おおしろばやし遺跡など数多く、それに比し後期から晩期にかけての遺跡は数が少ない。この頃既に弥生期に移行していたのであろうが、弥生期の早いものでは中川村の刈谷原かりやはら遺跡があり稲作の始まりもみられ、中期から後期にかけて稲作農耕の盛んになった遺跡として辰野町五反田ごたんだ・箕輪町箕輪遺跡などがあげられる。しかしその頃なお畑作農耕が盛んだったと考えられる遺跡も少なくない。

古墳はそのほとんどが円墳であるが、箕輪町王墓おうばかは本郡ただ一つの前方後円墳で由緒はつまびらかでないが、六世紀後半から七世紀頃の成立といわれている。その他の古墳は小規模な円墳で天竜川両岸の段丘上に分布していて、七世紀代のものとして辰野町平出ひらいで、箕輪町長岡ながおか三日町みつかまち、伊那市手良てら富県とみがた、宮田村づか、駒ヶ根市小鍛冶こかじ、中川村片桐かたぎりなどの古墳群があり、それに次ぐ時代のものとして伊那市野底のそこ福島ふくじま東春近ひがしはるちか古墳群などがあげられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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