20世紀日本人名事典 「宮沢芳重」の解説
宮沢 芳重
ミヤザワ ヨシジュウ
昭和期の思想家
- 生年
- 明治31(1898)年9月18日
- 没年
- 昭和45(1970)年11月27日
- 出生地
- 長野県下伊那郡松川町
- 学歴〔年〕
- 東京物理学校〔大正14年〕卒
- 経歴
- 郵便配達夫の後、大正7年上京、新聞社の発送部で働きながら正則英語学校で学び、14年東京物理学校予科を卒業。陸軍技術本部や五藤光学などに勤めた。その間、寺田寅彦、田辺元、小倉金之助らの著書を読みふけり、物理学校の聴講も続けた。昭和17年には母校の小学校へ望遠鏡を寄贈。戦後は日雇い労働者となり、ムダを省き、最低の生活を続けながら新数学人集団の「数学の歩み」を購読、研数学館に通った。33年には地元の飯田図書館に「狩野亨吉遺文集」を寄贈、地元の大学「飯田大学」設立を願って私費で「ブルバキ数学原論」全巻をそろえることに努力。また選んだ書籍のすべてを贈った。死後の47年芳重地蔵が建てられ、48年NHK総合テレビ「地蔵になった男」で、隠れた合理思想家の一生が紹介された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報