宮熊村(読み)みやぐまむら

日本歴史地名大系 「宮熊村」の解説

宮熊村
みやぐまむら

[現在地名]宇佐市宮熊

しよう村の西にあり、北は周防灘に面する。西は下毛郡鍋島なべしま(現中津市)、南は敷田しきだ村および五十石ごじつこく川を挟んで富山とみやま村。古くは宮隈とも記した。天正四年(一五七六)六月二八日の金光寺了珍置文(金光文書)に「宮隈」とある。近世領主変遷尾永井おながい村に同じ。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高四五七石余、人数一三一、百姓一五(うち庄屋三)・鍛冶一・牢人一、牛一八・馬六。天保三年(一八三二)の中津藩郷村高帳下書では高五一〇石余、うち改出一三二石余・出高一五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む